五木寛之 流されゆく日々
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連載10261回 健康は命より大事か <1>
<健康>という名の病いが日本列島に蔓延している。 新聞・雑誌を開けば健康特集、テレビをつければ健康番組、まさに健康問題の大流行だ。 薬品や医療に関する告発記事も多い。生活習慣病という言葉も広く…
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連載10260回 ほどほどこそが難しい <5>
(昨日のつづき) ほどほどの人生とは、一体どのようなものだろう。小学生の頃から、学業もほどほど、スポーツもほどほど、ほどほどの学校へ進学して、ほどほどの会社に就職する人がいる。 酒も煙草もほど…
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連載10259回 ほどほどこそが難しい <4>
(昨日のつづき) <中庸>というのは古くから定番の人生訓である。それに反対する人はいないだろう。 しかし、この<中庸>とは、実際にはどういうことなのだろうか。右と左とを合わせて、二で割ったもので…
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連載102589回 ほどほどこそが難しい <3>
(昨日のつづき) ほどほどという立場は、言うなれば良識的な保守思想である。保守派、必ずしも守旧派ではない。進歩という視点に対するアプローチの仕方が革新派と異なっているだけだ。 学生の頃に読んだ…
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連載10257回 ほどほどこそが難しい <2>
(昨日のつづき) 健康関連記事のブームは、まだ続いているようだ。どうやら一過性の流行ではなくて、国民の最大関心事となった観がある。総選挙も大事だが、それより今日の血圧、といった雰囲気。 本日の…
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連載10256回 ほどほどこそが難しい <1>
健康に関してじつにさまざまな意見がある。先日、厚労省の発表で、糖尿病予備軍1000万人というニュースがマスコミをにぎわした。 思わずぞっとした人たちも少くなかったことだろう。NHKでも関連番組の…
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連載10255回 老人大国日本の未来 <4>
(昨日のつづき) 老人、といえば、ふと思い出す風景がある。 古代インドで80歳の長寿をまっとうしたブッダのことだ。 以前、インドを旅して、その苛烈な自然のありように慄然としたことがあった。…
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連載10254回 老人大国日本の未来 <3>
(昨日のつづき) 以前、私が60歳になったとき、市役所からお祝いの品を頂戴したことがあった。 なんと<孫の手>である。 最近の若い人たちに<孫の手>といっても、ピンとこないだろう。竹ででき…
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連載10253回 老人大国日本の未来 <2>
(昨日のつづき) 深沢七郎の『楢山節考』が大きな話題となったのは、1956年(昭31)のことだった。 口減らしのため老人を楢山に捨てる風習のあった集落の物語りである。姥捨伝説の背後にある日本人…
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連載10252回 老人大国日本の未来 <1>
「敬老の日」の関連ニュースを各新聞が大きくあつかっている。 <90歳以上の人口200万人超え> というのが各紙の主な見出しだ。100歳以上の長寿者も6万数千人に達した。世界最高齢者が日本人になっ…
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連載10251回 健康記事に怯えて <5>
(昨日のつづき) きょうも新聞に健康関連記事の大見出しが躍っている。週刊誌も、テレビ番組も、なにやら恐ろしげな病気について論じている。 ある意味で、私たちは健康ノイローゼにおちいっているのでは…
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連載10250回 健康記事に怯えて <4>
(昨日のつづき) 健康論や養生に関して、趣味として取り組むのはいい。私は健康にまつわる主題を、一種の道楽として考えている。鉄道ファンもいれば、フィギュアの蒐集家もいるようなものだ。 しかし、あ…
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連載10249回 健康記事に怯えて <3>
(昨日のつづき) 一般的には、横になって寝る横臥位をすすめる専門家が多い。 私は睡眠時無呼吸症候群の傾向があるらしく、夜中にときどき寝息がとまったりする。いびきをかく人に多く見られる症状らしい…
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連載10248回 健康記事に怯えて <2>
(昨日のつづき) その心療内科の医師の手記は、自分のこれまでの経験と、新しい治療情報の紹介が過不足なくまとめられていて、とてもいい記事だったと思う。 しかし、読後なんとなく違和感が残ったのは、…
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連載10247回 健康記事に怯えて <1>
このところ、というか、この数十年来、健康問題関連記事の花ざかりである。新聞、週刊誌をはじめ、テレビ番組でもそうだ。カラスの鳴かぬ日はあっても、マスコミに健康問題が取りあげられぬ日はないのではないか。…
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連載10246回 デラシネとしての宗教 <5>
(昨日のつづき) インドの神々が日本列島に渡来してこられたのは、柴又の帝釈天のみではない。無数の寺の仏像が故郷をはなれて流離、出離された仏さまである。 そういえば、かつて<ディスカバー・ジャパ…
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連載10245回 デラシネとしての宗教 <4>
(昨日のつづき) 『男はつらいよ』の寅さんの故郷は葛飾柴又である。 <私 生まれも育ちも 葛飾柴又です 帝釈天で産湯をつかい 姓は車 名は寅次郎 人呼んで フーテンの寅と発します> …
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連載10244回 デラシネとしての宗教 <3>
(昨日のつづき) 21世紀の現在、もっとも信徒を増やしつつあるのはイスラム教である。7世紀ごろにアラビア半島に生まれたイスラム教は、聖地メッカ(マッカ)でわずか200人ほどの共同体からスタートした…
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連載10243回 デラシネとしての宗教 <2>
(昨日のつづき) デラシネなどという言葉と、いちばん遠いところに在るような気がするのが、たとえば宗教である。 「南無阿弥陀仏」 というような言葉は、すでに私たち日本人の血肉と化しているような…
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連載10242回 デラシネとしての宗教 <1>
〈移植された植物のほうがつよい〉という林達夫の言葉は、私にとって一つの啓示だった。 最初からその地に生まれ育ったものより、故地を離れて流離したもののほうがつよい。ここでつよいというのは、強国とか強…