五木寛之 流されゆく日々
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連載10698回 自己責任の時代に <2>
(昨日のつづき) 最近、自己責任、という言葉が、再び話題になってきたようだ。 たぶん、老後の生活を維持するためには最低2000万円の貯金が必要、という話に関して出てきた話題だろう。 国や政…
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連載10697回 自己責任の時代に <1>
西日本は豪雨の様子。明日、高松へ行く予定だが、空の便は予定通り運航するのだろうか。 旅に出るときは、黒のキャリー・バッグを一つ持っていく。安売りの店で10年ほど前に買ったバッグだが、これがなかな…
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連載10696回 寒い夏におろおろと <4>
(昨日のつづき) 扁桃腺の腫れは少し引いたようだ。 体の不調は、できるだけ1日か2日で治めるほうがいい。「治」という字を、「治る」「治す」というふうには読まないのが私の流儀である。「治める」「…
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連載10695回 寒い夏におろおろと <3>
(昨日のつづき) 寒さが苦手、といっても、冬の寒さは平気なのだ。夏に寒いのがこたえるのである。 昨日の夜あたりから、なんとなく扁桃腺の具合いがおかしい。たぶん、これも夏の寒さのせいではあるまい…
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連載10694回 寒い夏におろおろと <2>
(昨日のつづき) 汗をかかない、という人がいる。最近は真夏でも汗をかかずに暮すことが可能になってきた。 日々の暮しの中では汗をかかず、わざわざ料金を払ってサウナで大量の汗をかく。 養生の面…
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連載10693回 寒い夏におろおろと <1>
また寒い夏がきた。 と言っても、いわゆる冷夏のことではない。冷房のききすぎた人工的な寒さのことである。 毎年、夏になると同じ愚痴を書きつらねるのだが、なぜこんなにクーラーを使うのか。 適…
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連載10692回 『眠り』について考える <5>
(昨日のつづき) きょうはめずらしく早起きした。午後1時すぎに目覚めて、夕方まで仕事をしたのだ。 午後1時に起きて自慢するなどということは、狂気の沙汰だろう。世間の人は朝の7時か8時には目覚め…
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連載10691回 『眠り』について考える <4>
(昨日のつづき) 眠りを死として考える文化もある。 <安らかに眠れ> とか、 <永遠の眠りにつく> などというのがそうだ。たしかに眠りと死とは、相通じるものがあって、<永眠>という言葉…
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連載10690回 『眠り』について考える <3>
(昨日のつづき) 眠を貪る」という言葉がある。眠ることに対する東洋的な思想の背景には、眠りを否とし、覚醒を是とする傾向があるようだ。 「人生は一場の夢である」 と、いう考え方もある。しかし考え…
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連載10689回 『眠り』について考える <2>
(昨日のつづき) むかし出版バブルといっていい時代があった。小説家が出版社や雑誌社に追い回されて、カンヅメが当り前だった頃である。 私たちの60年代、70年代もそうだったのだから、戦後のジャー…
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連載10688回 『眠り』について考える <1>
今日も4時過ぎに目覚めた。 4時といっても午後の4時である。朝にベッドに入って、夕方に起きる生活が、もう50年以上も続いているのだ。 それでも若い頃(といっても中年時代だが)は、一気に8時間…
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連載10687回 『万葉集』とわたし <5>
(昨日のつづき) 歌垣にしても、挽歌にしても、一体どんなメロディーでうたわれたのだろうか。 私は『万葉集』を、戦時中の悪用から解放して、真に私たち日本人の貴重な遺産として正しく受け継ぎたいと思…
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連載10686回 『万葉集』とわたし <4>
(昨日のつづき) 何年か前、中西進先生からおすすめを受けて、富山で『万葉集』について話をしたことがあった。越中富山は大伴家持の故地である。私も一時期、北陸に住んだことがあったが、家持については何も…
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連載10685回 『万葉集』とわたし <3>
(昨日のつづき) 戦争の時代の『万葉集』は、ある意味で国民の聖典であったと言っても間違いではないだろう。 『海ゆかば』や『み民われ』の歌だけでなく、万葉の中の代表的な歌の一つや二つは、誰でもが知…
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連載10684回 『万葉集』とわたし <2>
(昨日のつづき) 調べてみると、当時、私たちがなにげなくうたっていた歌にも、いろんな種類があったことがわかる。 NHKで放送される<国民歌謡>というのがあった。『愛国行進曲』や『暁に祈る』など…
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連載10683回 『万葉集』とわたし <1>
書店にいくと、万葉集関係の本が何冊も並んでいる。 令和という新しい元号のブームは一段落ついたようだが、それに関連する様々な資料や研究、解説などは、根強く売れているらしい。 恥ずかしながら私も…
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連載10682回 モノが捨てられない <5>
(昨日のつづき) 身辺を整理して、スッキリした暮しをしたいとは思う。しかし、それができないのは、結局、いまの雑然たるモノの集積の中にいるのが居心地がいいからではあるまいか。 捨てたい、と思うの…
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連載10681回 モノが捨てられない <4>
(昨日のつづき) 私の年来の知人である学者先生が亡くなられた。 若い頃から、せっせと小遣いを貯めては、内外の資料や専門書を購入した碩学である。その結果、家が傾くほどの蔵書量になってしまっていた…
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連載10680回 モノが捨てられない <3>
(昨日のつづき) 毎度おなじ話題をとりあげるので申訳ないが、捨てられないモノの筆頭が靴である。 たぶん同じような悩みを抱えていらっしゃる方も多いことだろう。 靴は私にとっては単なるファッシ…
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連載10679回 モノが捨てられない <2>
(昨日のつづき) ヨリシロというのは、<依代>とも書き、<憑代>とも書く。 一般に神や霊が乗り移るモノ、またはスピリチュアルな世界への媒体としてのモノのことをいう。巫女さんなど、あの世とこの世…