五木寛之 流されゆく日々
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連載10658回 内田裕也氏との対話 <1>
私は「対談」という事を、「執筆」と同じように大事な仕事だと考えている人間だ。 「書くこと」と「喋ること」と「問答すること」は、どれも表現の場として区別をつけずにやってきた。一冊の本も書かずに、スピ…
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連載10657回 仕事を怠けて本を読む <5>
(昨日のつづき) 4冊目の最後にとっておいたのが、『続於于野譚』(Ou―Yatan/柳夢寅作・梅山秀幸訳/作品社刊)である。 582ページのどっしりと重い大著だが、値段も3800円と重い。 …
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連載10656回 仕事を怠けて本を読む <4>
(昨日のつづき) 『沖縄アンダーグラウンド』を読み終えて、続いて手にとったのが、佐藤優さんの本、『友情について』(講談社刊)だった。不思議な縁だな、と、ふと感じた。たしか佐藤さんの御母堂は沖縄の出身…
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連載10655回 仕事を怠けて本を読む <3>
(昨日のつづき) 『沖縄アンダーグラウンド』(藤井誠二著/講談社刊)は、もう一つの戦後史として貴重な一冊である。350ページ近い労作だが、沖縄の語られざる深部を掘りおこして余すところがない。 歴…
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連載10654回 仕事を怠けて本を読む <2>
(昨日のつづき) 『日本進化論』は、机の上で書かれた論文ではないところに特徴がある。小泉進次郎氏と著者が共同企画した「平成最後の夏期講習」という催しがきっかけになったのだそうだ。それがニコニコ動画で…
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連載10653回 仕事を怠けて本を読む <1>
私の仕事は本を書くことである。本を読むことではない。 だから読書というのは、私にとっては怠けることである。原稿の締め切りをすっぽかして、読書に逃避するというか、本に逃げこむわけだ。 そんなわ…
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連載10652回 ボケない工夫よりも <5>
(昨日のつづき) 一時期、アンチ・エイジングという言葉が流行したことがある。 当時から私は、そのアンチという表現になにか抵抗をおぼえるところがあった。いくらNO!といったところで自然のなりゆき…
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連載10651回 ボケない工夫よりも <4>
(昨日のつづき) すべての人間は老化する。 それはエントロピーの真理である。鋼鉄が錆びていくように、人間も錆びていく。それを止めようとしても無理だ。しかし、少しだけ老化をおくらせることはできる…
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連載10650回 ボケない工夫よりも <3>
(昨日のつづき) きのうの本紙(日刊ゲンダイ5月14日付)を眺めていると、痴呆症関係の記事のオンパレードだ。 15面のトップに<認知症発症のメカニズム・第3弾>として大きな記事がのっている。ア…
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連載10649回 ボケない工夫よりも <2>
(昨日のつづき) 人間は高齢に達すると自然にボケていく。 これは病気ではない。変化というべきだろう。 問題はボケない工夫ではあるまい。そうではなく、良くボケることが大事なのではあるまいか。…
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連載10648回 ボケない工夫よりも <1>
「人生50年」といわれていた時代は遠く過ぎ去り、いまやその後の50年を真剣に考える必要がある。 現代の「3K」は、「健康」「金」「孤独」の3つだろう。 そのなかでも、健康については誰もが不安を…
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連載10647回 古い上衣とは何か <4>
(昨日のつづき) いま思い出しても恥ずかしい限りだが、高校に入学して、すぐにテニス部にはいった。 映画『青い山脈』の影響は、田舎の少年に圧倒的な影響をおよぼしたのだ。テニスのラケットを持って頬…
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連載10646回 古い上衣とは何か <3>
(昨日のつづき) 〽古い上衣よ さようなら というのは、もちろん映画『青い山脈』の主題歌の一節である。 しかし、そのフレーズを口にしても、何のことだろうとけげんな顔をされるようになった。…
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連載10645回 古い上衣とは何か <2>
(昨日のつづき) 連休明けのこの原稿を書きながら、ふと思った。昭和にスタートしたこの連載コラムが、その後、平成をへて令和の時代まで続いている。 この日刊ゲンダイ紙の創刊と同時に始まった連載だか…
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連載10644回 古い上衣とは何か <1>
「未曽有の」という言い方が流行したことがあった。変った読み方をした政治家が話題になったのだが、あらためて昨今、「未曽有の」時代に直面している実感がある。 その一例は言うまでもなく、超高齢社会の到来…
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連載10643回 高齢者と車の運転 <5>
(昨日のつづき) 未練がましいことを書きつらねてきたが、要するにそれほど私は車の運転が好きだったのだ。 しかし、ある時期からそれだけに自分の運転能力の低下が、身にしみて自覚されたのである。 …
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連載10642回 高齢者と車の運転 <4>
(昨日のつづき) きょうもまた何件かの交通事故のニュースが流れた。不条理な死に見舞われた被害者の家族の気持ちは察するにあまりある。 昨日の話の続きだが、戦時中の航空少年は、戦後、禁じられた空の…
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連載10641回 高齢者と車の運転 <3>
(昨日のつづき) そんなわけで、60歳を過ぎた頃から、いつ運転から撤退しようかと考えていた。 もちろん、各方面から指摘されたように、自動車を自分で運転せずに生活できるという事情もあった。 …
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連載10640回 高齢者と車の運転 <2>
(昨日のつづき) 私が自分の老化を感じはじめたのは、50代の後半からだった。60歳をこえると、あきらかに運動機能の衰えを自覚するようになった。 たとえば、よく物を落とすことがある。ふだんなに気…
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連載10639回 高齢者と車の運転 <1>
高齢のドライバーによる悲惨な事故がおきた。言葉もない。 愛憎のもつれとか、金がからむ事件とか、そういうケースとは全然ちがう事故である。突然に降りかかる事故ほど不条理なものはない。 それにして…