五木寛之 流されゆく日々
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連載10718回 散るモミジのように <3>
(昨日のつづき) <散るモミジのように>というこの回の題名は、もちろん世間によく知られている一句のモジリである。 裏を見せ 表を見せて 散る紅葉 わかるような、よくわからないよう…
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連載10717回 散るモミジのように <2>
(昨日のつづき) 仏教の出発点は、人生を『苦』と考えるところにあった。この『苦』とは、単純に苦しみとか、苦悩とかいったものではないだろう。 しかしこの世が不条理にみちていることは、子供でも感じ…
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連載10716回 散るモミジのように <1>
生きていることには、苦しい事もあれば楽しい事もある。真実もあればフェイクもある。表があるということは、裏もあるということだ。表だけの存在など、この世界にはありえない。 しかし、その見方は、どちら…
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連載10715回 原稿用紙が消える日 <4>
(昨日のつづき) この『日刊ゲンダイ』の連載コラムの原稿は、見出しこみで3枚弱である。スタート直後は<しゃべくり年代記>と銘打って、わざと喋り口調で原稿を書いていた。しばらくすると普通の原稿になり…
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連載10714回 原稿用紙が消える日 <3>
(昨日のつづき) 私が原稿用紙に文章を書くようになったのは、一体いつ頃からのことだろうか。 中学から高校にかけての少年時代、ガリ版刷りの小雑誌や、高校新聞に文章をのせたことがある。いま振り返っ…
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連載10713回 原稿用紙が消える日 <2>
(昨日のつづき) 学生の頃、ヘミングウェイがタイプライターで原稿を打っている映像を見たことがある。 アメリカの作家は進んでいるなあ、と複雑な気持ちになったものだった。 さらに、名前は忘れた…
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連載10712回 原稿用紙が消える日 <1>
冷房が苦手なので、ほとんど半裸の姿で部屋にこもっている。原稿とゲラ直しの仕事が山積していて、働き方改革など関係ない日々が続く。 分厚いゲラの山が、今にも崩れ落ちそうに机の上に山積みになっている。…
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連載10711回 雑読、濫読の夏は来ぬ <5>
(昨日のつづき) 私の本の読み方は、基本的に速読である。古典を読む場合でも、一言一句を噛みしめるような読み方は苦手だ。なにしろ本の数は多く人生は短い。一冊の本を一生賭けて読み通すという読み方もあろ…
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連載10710回 雑読、濫読の夏は来ぬ <4>
(昨日のつづき) この1週間ほど、例によって雑読の日々が続いた。『ゴーストマン 時限紙幣』(ロジャー・ホッブズ/文春文庫)、『コールド・ロード』(T・ジェファーソン・パーカー/早川書房)などを読む…
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連載10709回 雑読、濫読の夏は来ぬ <3>
(昨日のつづき) このところ毎週、月曜日は音羽の講談社へ通っている。夕方に出社して、翌日の未明まで、人気のない社内の一片隅でゲラ直しと執筆の時間を過ごすのだ。 こういう状態を、昔はカンヅメと言…
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連載10708回 雑読、濫読の夏は来ぬ <2>
(昨日のつづき) いろんな本を読んでいるうちに、ふと立ち止ってしまうことがある。 どう読めばいいのかわからない漢字が文章の中に出てくる場合だ。子供の頃から講談本や大人の本を読みあさってきたので…
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連載10707回 雑読、濫読の夏は来ぬ <1>
酷暑の続く日々だが、こちらは冷房病で悩まされている。高齢者にとっては、暑さよりも冷えのほうが辛いのだ。ジャケットを常時、持ち歩いていても、それでもなお寒さに耐えられない時がある。 カフェなどで客…
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連載10706回 老化の実体について <5>
(昨日のつづき) 穏かな老後、などというものはない。 まれにそういう人もいるだろう。しかし、それは半分ボケている状態かもしれないのだ。 身体は日々おとろえていく。精神活動もしかりだ。下降し…
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連載10705回 老化の実体について <4>
(昨日のつづき) 老化のもっとも顕著な現象の一つが、「ふらつき」である。文字通りフラフラするのだ。 歩いていて、ふらつく。中心線をトレースしているつもりでも、自然に左右にぶれるのである。要する…
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連載10704回 老化の実体について <3>
(昨日のつづき) 実態と書かずに実体と書いたのは、理由がある。実態は物事の本質よりも、表面の具体的な現象をさす。実態調査などというように、数字をあげての報告である。 実体のほうは本質というか、…
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連載10703回 老化の実体について <2>
(昨日のつづき) 高齢化のスピードがどれほど未曽有の物凄いものであるかは、まだほとんど世の中に実感されていない。 『痛みのサイエンス』(半場道子著/新潮選書)によれば、ギリシャの鉄器・青銅器時代…
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連載10702回 老化の実体について <1>
最近はなんでも言い替えることがはやっている。 戦争中は軍部の得意技だった。退却を転進という。全滅を玉砕というにいたっては、国民も内心、眉をひそめる気配があった。今の政府も言い替えは慣れたものだ。…
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連載10701回 自己責任の時代に <5>
(昨日のつづき) 新幹線の中で週刊誌を読んでいたら、こんな事を経済評論家が言っていた。 「年金制度の将来を不安がる発言が多いけど、結局は自己責任なんですね。公的な支援で老後を過ごそうというのは、…
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連載10700回 自己責任の時代に <4>
(昨日のつづき) 高松での講演を終え、17時40分の全日空で羽田へ。 高松は地方都市の中では格段に道路が広く、空港まで予定より早く着いたので、うどんを食べる。腰のない金沢のうどんとは、まったく…
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連載10699回 自己責任の時代に <3>
(昨日のつづき) 高松へいく。さすがに日帰りは無理だ。羽田から高松への便は、ひどく冷遇されているというか不便なターミナルから出発する。バスで飛行場の別な建物まで移動しなければならない。 余裕を…