五木寛之 流されゆく日々
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連載10678回 モノが捨てられない <1>
断捨離というのが大流行した。最近ではアメリカを中心に、コンマリ・ブームとかが巻きおこっているらしい。これも<捨てる思想>の流れだろう。 捨てる、といっても、いろいろある。平安から鎌倉時代にかけて…
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連載10677回 どっちが本当かな? <5>
(昨日のつづき) いろんなレポートや論文などに、よく引用されるのが<統計>である。 政府の政策や官庁の施策なども、統計がその土台になっているようだ。 しかし、この統計というやつが、それほど…
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連載10676回 どっちが本当かな? <4>
(昨日のつづき) いわゆる常識というやつが次々と崩れていく。 科学は日進月歩だから当然かもしれない。しかし、子供の頃からずっと常識として信じこまされてきた事が、こんなに軽々と否定され、打ち捨て…
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連載10675回 どっちが本当かな? <3>
(昨日のつづき) 世の中がこれほど食べることに熱中している時代はなかったように思う。 もちろん私が子供の頃は、戦争の時代だから、食べる自由はあまりなかった。米は配給制だったし、砂糖などなかなか…
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連載10674回 どっちが本当かな? <2>
(昨日のつづき) 最近、いつのまにか食事の回数が減ってしまった。一日一食プラス間食といった感じである。 もう何度も繰り返し書いたと思うが、何十年も前から言い続けてきたことがある。 10代は…
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連載10673回 どっちが本当かな? <1>
歯は大事である。私の友人、知人でも、歯が丈夫な人は、おおむね元気で長生きする人が多い。 「せっせと歯磨きしてるんだが、どうも効果がなくてね」 という声をあちこちで聞く。私も歯は決して丈夫ではな…
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連載10672回 しなやかな二枚舌 <5>
(昨日のつづき) この問題をめぐって、感じないではいられないのは<他人ごとではない>という自戒の念だ。 愚かだったのは戦時中の知識人やアーチストたちばかりではなかった。私たち同時代に生きた者の…
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連載10671回 しなやかな二枚舌 <4>
(昨日のつづき) この特集の冒頭にあるように、<権力礼賛の曲を書く一方、そこに抵抗の意志を込め>ることは、はたして可能なのだろうか。 もし可能だとすれば、それはどのような形で表現されるのか。ふ…
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連載10670回 しなやかな二枚舌 <3>
(昨日のつづき) 秀逸なテレビ・ドキュメント番組『レニングラード・女神が奏でた交響曲』のなかで、旧ソ連時代にショスタコーヴィチがはたした役割りと功績について、小林氏はさらに亀山氏独自の発想である<…
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連載10669回 しなやかな二枚舌 <2>
(昨日のつづき) 戦時中のわが国のアーチストは、たぶん愚直、という言葉が似合う精神構造の持主だったと思われる。良く言えば素朴、純情とも考えられるし、また批判的に見れば知性の欠如、勇気のなさ、など幼…
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連載10668回 しなやかな二枚舌 <1>
戦時中の音楽家には、さまざまな天才たちがいた。古賀政男がそうだし、信時潔もそうだった。作詞家としての北原白秋、西條八十など多くの才能ある詩人たちもいた。 彼らの戦時中の作品を一望すると、目をおお…
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連載10667回 令和もまた右往左往 <5>
(昨日のつづき) 明日は金沢へいく。北国新聞の創刊125周年記念の講演会があるのだ。 午前中の北陸新幹線に乗るので、早く起きなければならない。昨夜、ゲラ直しで朝の8時過ぎまで起きていたので、睡…
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連載10666回 令和もまた右往左往 <4>
(昨日のつづき) きょうの日刊ゲンダイに刺戟的な記事がのっている。(6月5日発行・6日付紙面)の《長生きする読書術》というコラムだ。 これは新刊のコンパクトな紹介記事で、その時その時の旬の本を…
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連載10665回 令和もまた右往左往 <3>
(昨日のつづき) いい具合にボケる。理想はそうなんだが、実際には至難のわざだ。 以前、脳トレの道具が流行ったことがあった。一時、塗り絵がすすめられたこともある。麻雀がいいという説は、まだ健在だ…
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連載10664回 令和もまた右往左往 <2>
(昨日のつづき) 80歳を過ぎると3人に1人がボケるという。本格的な痴呆とかアルツハイマー病でなくても、ごく自然にボケていくのだろう。 アンチ・エイジングという言葉が流行ったことがあった。アン…
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連載10663回 令和もまた右往左往 <1>
岡山へいってきた。 岡山市まで新幹線で行き、そこから津山線という在来線に乗る。終点の津山で降り、こんどは車で目的地の勝央町まで。かなりの強行軍だ。 天気はいいし、山々の緑や川の流れが目にしみる…
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連載10662回 内田裕也氏との対話 <5>
(昨日のつづき) 話が横にそれるが、1970年代というのは、いわゆるリトル・マガジンというのがすこぶる生彩のあった時代だったように思う。 地方のタウン誌も活気があった。いちど金沢で全国各地のタ…
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連載10661回 内田裕也氏との対話 <4>
(昨日のつづき) そもそもその時の対談のきっかけは、内田裕也さんが中村とうようさんにアプローチしたものだったようだ。 とうようさんに内田さんから電話がかかってきて、『猥歌』のパブリシティの件で…
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連載10660回 内田裕也氏との対話 <3>
(昨日のつづき) 対談の途中で、内田さんはこんなことを言いだした。「死」という問題を自分から出してきたのだ。 内田 神代さんは、死ぬ映画は誰でも撮れます、って言ってましたけどね。そうじゃなくて…
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連載10659回 内田裕也氏との対話 <2>
(昨日のつづき) 当時、内田裕也は個性派俳優として売れっ子だった。『猥歌』につづいて若松孝二監督の『水のないプール』にも出演していた。 『猥歌』は、にっかつロマン・ポルノの記念作品だから、当然、…