喜怒哀楽のサラリーマン時代
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河合雅司さん<1>取材しないスタイルで地方議員の信頼得る
少子高齢社会で起きる問題を予測した著書「未来の年表」は、続編の「未来の年表2」、最新刊の「未来の地図帳」(いずれも講談社現代新書)と累計で85万部を突破するベストセラーに。平成の終わりに産経新聞社を…
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河合敦さん<5>進学校でやっと日本史だけを担当できて感激
2004年、河合さんは都立白鷗高校に異動になった。当時から進学校として知られた伝統校だ。かつ、東京都が決めた小石川、両国など10校の“中高一貫校”になることが決まっていた。赴任早々、その開設準備室の…
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河合敦さん<4>江戸川区の高校で生活指導主任を任され…
東京都の教員になって8年目の春、異動で普通校の教壇に立つことになった。 「江戸川区にあるその高校は、けっこうヤンチャな子が多くて、進学率は3割ほど。主に専門学校を目指す子がほとんど。ボクは最初…
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河合敦さん<3>授業が成立しない…定時制高校で重ねた苦労
同期は皆、高校教師として教壇に立っているのに自分は……。この不公平感から河合さんは歴史研究にベクトルを向けるように。生徒と養護学校付近の山々に出かけるうち、町田市の山城に興味を持ち、論文にまとめ上げ…
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河合敦さん<2>赴任先の養護学校で教育観が百八十度変化
日本史の先生になって教壇に立ちたい――。河合さんは、東京都の教員試験に合格し、夢をかなえたかにみえた。が、着任先は養護学校だった。 「新任教員の間で、“最初は島しょ部や定時制などにいかされる”…
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河合敦さん<1>東京都の高校日本史の教員試験倍率は約40倍
「世界一受けたい授業」などのテレビ番組出演や、200冊を超える著作でおなじみの河合敦さん。話を聞いていると、“日本史って面白い”という気分になってしまうから不思議だ。前職は教師。1989(平成元)年に…
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花田美恵子さん<5>元広告業界の夫のマネジメントで再出発
今年でハワイに移住して10年になる。プライベートでは2018年、共通の知り合いのホームパーティーで出会った日本人男性と再婚したことを公表した。もっとも、その間に1度結婚していて、今回が“再々婚”とな…
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花田美恵子さん<4>乗客と一緒に撮った写真がスポーツ紙に
結婚を決めた1993年当時、大相撲界は若貴ブーム真っただ中。当然、結婚相手の花田さんもマスコミから注目された。 「ラストフライトは香港便でした。正式発表前でしたが、結婚することは世間に漏れてい…
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花田美恵子さん<3>フライト中に貴乃花から食事に誘われて
JALのCAとして国際線を担当していた1993年、入社丸2年にして、“社内の顔”に選ばれた。JALの現役客室乗務員が登場するカレンダーのモデルに決まったのだ。ある日、会社から「撮影があるから」とスケ…
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花田美恵子さん<2>国際線に配属 ブラジル便は2週間帰れず
1991年、日本航空に新卒で入社。半年間の地上研修の配属先は、本社の総務部だった。 周囲はグラウンドスタッフなどで“現場”を経験する中、1人だけコピーや事務処理作業をこなしていた。 「…
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花田美恵子さん<1>“就職浪人”覚悟で家族と目指したCAの夢
4人の母親には見えない。気さくでよく笑う。かわいらしさは健在だ。成城大学在学中には雑誌「Olive」の人気読者モデルとして活躍。卒業後は、1991年に日本航空(JAL)に客室乗務員(CA)として入社…
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植松三十里さん<4>小説家を志しカルチャーセンターで受講
帰国後に住居を構えたのは札幌だった。植松さんは33歳になっていた。 「やっぱり仕事がしたかったですね。それで人材募集の三行広告で見つけた建築都市デザイン事務所に応募したら受かったので、働き始め…
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植松三十里さん<3>日本人向けフリーペーパーを制作し発行
婦人画報社を25歳で円満退社して、結婚した。 「アメリカの大学に就職するので、一緒に来る?って言われたんですよね。寿退社で渡米するのは、ちょっとカッコいいなと思って。私ってミーハーなんですよ」…
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植松三十里さん<2>若いモデルが「霊がいる」と泣き出し…
念願の出版社に入社した植松さん。 「入社して最初に『婦人画報ビューティー』編集部に配属になりました。当時の婦人画報社は社員人数が約200人で、廃刊を出さないのがポリシーだったんです。看板の『婦…
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植松三十里さん<1>友人の親に頼み「an・an」でアルバイト
2003年「桑港(サンフランシスコ)にて」で、第27回歴史文学賞を受賞。本人は「遅咲きだ」と強調し、「おばさん四十八歳 小説家になりました」という自伝もある。その後、数々の文学賞を受賞したが、もとも…
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ハリー杉山さん<5>仕事を精一杯頑張ることは父への恩返し
投資銀行でサラリーマン生活を経験できたのは、父が創業者と知り合いだった縁がキッカケだった。顔も人脈も広い父のおかげで、芸能界での仕事もはかどった。「仕事を精いっぱい頑張ることは、そんな父への恩返し」…
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ハリー杉山さん<4>人生初インタビューは緊張で何もできず
インターンとして半年、正社員として1年。投資銀行「ビジネス・ディベロップメント・アジア合同会社(BDA)」での仕事は充実していただけに、大学進学をやめて、そのまま働き続ける選択肢もあったが、2005…
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ハリー杉山さん<3>社員、店員、モデルで大人の階段を上る
イギリスに住んでいた16歳の頃から、日本のモデル事務所に所属。帰国してからは、投資銀行「ビジネス・ディベロップメント・アジア合同会社(BDA)」のインターンとモデルの二足のワラジだった。 「モ…
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ハリー杉山さん<2>「15分遅刻し厳しく怒られた」と話すと
イギリスから帰国して投資銀行「ビジネス・ディベロップメント・アジア合同会社(BDA)」のインターンとして働き始めた2003年は、4月28日に平均株価がバブル後最安値の7607円を記録。その後、りそな…
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ハリー杉山さん<1>18歳で英から帰国 投資銀行でインターン
「ハロ! ハロ~!」の明るいあいさつが印象的で、情報番組やバラエティーに出演する一方、俳優業にも力を入れる。イギリス人の父と日本人の母の間に生まれ、複数言語を駆使するだけでなく、ファッション、音楽、ス…