保阪正康 日本史縦横無尽
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プーチンのウクライナ侵攻と日本の「支那一撃論」の共通性
これまでプーチンのウクライナへの軍事侵略が20世紀の帝国主義的戦争の教訓に全く学んでいないという事実を指摘してきた。彼の頭にあるのは、スターリンのつくったソ連という社会主義体制の中心軸を再現して、ロ…
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「正義の兵士集団」の現実は…ウクライナ侵攻まで続く赤軍兵士の妄信
独ソ戦におけるソ連の赤軍は、確かに勇猛果敢に戦った。これは祖国をドイツに渡したくないという強い意志の故でもあったが、同時にナチスへの脅威のためでもあった。各種の書によると、赤軍兵士の中には命が惜しい…
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ナチスを打ち負かしたソ連の「イワン神話」祖国を守り、労働者階級解放に使命感を持つ
第2次世界大戦は国家総力戦でもあった。つまり国家の全ての機構、制度、財政、社会、文化、さらには国民の全てが戦争というシステムの中に組み込まれた。傍観者や戦争忌避者は徹底的に排除され、時には処刑された…
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独裁政治の果ては? プーチンは暗殺の恐怖に怯えながら生き続ける
政治指導者のプーチンがスターリンに抱いている尊敬と反発は、心理学分析がいうところのエディプスコンプレックスの枠組みに組み込むとわかりやすい。このコンプレックスをもっと砕いて説明するならば、「権力者の…
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ニクソン米国大統領が背負ったエディプスコンプレックス
エディプスコンプレックスは精神分析の土台をなすといわれる。人間関係の原点がこのエディプスコンプレックスにあるとの説さえあるのだ。男子は成長の過程で母親の愛情を自分一人のものにしたがるが父親がそれを邪…
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侵略が「祖国防衛大戦争」にすり替わる時 戦争の意味付けは後世で変わる
プーチンのウクライナ侵略作戦は、歴史上でどのような形の汚名を浴びることになるのか、今のところ明確な判断はできない。戦争の推移がどう変化するかによって、その汚名の質が変わることはありうる。単なる軍事的…
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孤立した指導者プーチンが西側諸国を敵視する「2つの理由」
第2次世界大戦時のソ連は、対ドイツ戦を国力の全てを捧げて戦った。1939年9月1日のナチスによるポーランド侵攻時は、実はスターリンとの野合とでもいうべきであったが、その1年10カ月後のヒトラーによる…
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プーチンはロシアの独裁者だと公言 敵対勢力の命を奪うスターリンの手法
これは私の推測になるのだが、戦後の西ドイツ、そして統一ドイツの指導者は、ソ連と敵対しないことを前提に、ヒトラーの時代への申し訳なさのような感情を抱いているのだろう。メルケルやショルツのような時代に入…
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プーチン説得はドイツの責務ではないか もっとも近い距離にいることは間違いない
メルケル元ドイツ首相のプーチン観はきわめてクールであった。 「プーチンが仕えていた警察国家に苦しめられた経験を持つメルケルは、プーチンの狡猾さや冷淡さを身をもって理解していた」(「メルケル」カ…
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プーチンにしゃべらせ「妄言だ」と説得、独メルケル元首相が担っていた役割
プーチンが国際会議などで外国首脳と話し合う際にしばしば用いたのが、自らの妄想からくる西側陣営の動きだったという。 彼には欧米の列強が寄ってたかってロシアを侮っているとの恐怖感が根強く残ってい…
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プーチン大統領も…KGB工作員が背負う“疑心暗鬼”という欠陥
今回のロシアによるウクライナへの軍事行動は、多分に最高指導者の個人的性格によるところが大きいというべきである。プーチンの性格がそのままこの軍事行動に表れているとも言えるのだが、それだけに戦況が次第に…
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ロシアのウクライナ侵略で迫られる「21世紀の指導者像」の再検討
人間社会は時代とともに暴力的な対立を避ける方向に向かっている、というのがこの種の研究によって裏付けられているそうだ。社会や国家をつくり得ていない時代には、殺戮、闘争死などは際限なく繰り返された。生き…
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ゼレンスキー大統領が「権力志向型」だったら戦争は拡大しただろう
権力者の心理分析を試みていると、現在の国際社会の指導者に自国の国民を戦争に引っ張っていく危険なタイプはいるのだろうかと思う。ロシアによるウクライナへの軍事侵略は拡大するのだろうか、ということだ。 …
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プーチン大統領だけでなくバイデン大統領も危険な指導者か
アメリカの大統領を精神分析すると、①業績志向②権力志向③愛情志向の3種類に分かれると、かつて精神分析医が論じたことがある。大統領の個人史を見た上で、さらに選挙運動での演説草稿、演説内容などを多角的に…
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米国の大統領候補が目指す3つの理想像…業績志向、権力志向、愛情志向
一般的に、平時と戦時の政治指導者にはどのような違いがあるのだろうか。いや戦争に突き進む時の首相とはどのような性格が強いのだろうか。むろんひとつのタイプだけではない。それぞれの国によって、あるいは戦争…
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「軍国主義的人間像」から抜け出せない日本人
ファシズム体制や軍事主導体制が怖いのは、それが戦争の必要条件だからだけではない。戦争は終わればその後遺症があるにせよ、私の死の恐怖はひとまずは去っていく。真に怖いのは、その体制下でつくられる人間像な…
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「アメリカさん万歳」と叫んでいる…大戦中も北海道には米国への信頼感が眠っていた
今回は北海道を取り巻く環境が歴史的にどう変化したのか、その番外編ともいうべきエピソードを紹介しておきたい。 これまで述べてきたように、北海道は幕末維新の変化の中で、内にあってはアメリカのお雇…
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新島襄は「キリスト教的人間教育には私学でないとダメ」と田中不二麿の依頼をはねつけた
もともと北海道には、当時のアメリカの国際社会での位置付けと、日本社会の北海道の位置付けとを重ねる見方があった。すでに出来上がっている社会の枠組みの中で、新興国アメリカと北海道は、まさに旧来の体質を変…
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新島襄、内村鑑三らクラークが築いたキリスト教人脈の影響力
開拓使はクラークを招いて、明治9(1876)年8月に札幌で農学校の開校式を行った。この札幌農学校は、クラークの見識と学識をもとに開校されることになったが、つまりはアメリカの理想主義的教育の実験所のよ…
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敗者から優秀な人材を確保した薩長政府の巧妙な人心掌握術
アメリカからお雇い外国人を招聘する一方で、開拓使は独自にアメリカに留学生を送った。明治新政府は元年から7年ごろまでの間に、155人の留学生を海外に送り出したが、そのうち33人は開拓使が派遣している。…