保阪正康 日本史縦横無尽
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日本の政治家はヨーロッパの「複雑怪奇」にあしらわれた
昭和という時代に、日本とソ連の関係は基本的には仮想敵国であったのだが、一皮むけば隣国としての交流も図らなければならなかった。これまで見てきたように、日本は太平洋戦争の末期には、ソ連を仲介にしてアメリ…
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米英の抗議にも耳貸さず…シベリア抑留者はソ連の「戦利品」だった
ソ連の満州国での暴行や強奪は、いくつかの資料を見ていくと、独自の考えに基づいていたことがわかってくる。独ソ戦の際に、ソ連国内の都市の中には、それこそ破壊の極みに達した地も出た。むろん戦死者の数も戦争…
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GHQ幹部は「A級戦犯を生体実験しろ」と激高した
ソ連側に労務提供や国籍を離れるも可とする文書を提出した大本営参謀に、私が何度か取材を行ったことはすでに書いてきた。その参謀からの証言ではないのだが、一部の参謀には日本は密かにソ連と手を結び、対米英戦…
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米ソ対立を想起し、日本は太平洋戦争の継続を考えていた
敗戦時に日本の軍人がソ連側に提示した文書や資料は、正式の国家的文書ではないようなのだが、なぜこんな妙な形になってしまったのだろうか。このことについてはいまだ十分に精査されていない。何よりどのような文…
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大本営参謀がソ連に提示した要望の歴史的意味
ソ連の「捕虜」となった日本軍の将兵、それに一部民間人はどれくらいいたのか。その正確な数は現在も不明である。ソ連が解体する頃に日本を訪れていた東洋アカデミーのロシア人研究者は、シベリアに連行された「捕…
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大本営参謀は「満州国の日本人」をソ連側に売ったのか?
ソ連邦の崩壊時に、ソ連国内の公的資料や文書が一時的に公開の形になったことがあった。その時にこうした資料をソ連側の関係者を通して入手した人たちも多かった。ソ連側も緩くなっていたということであろう。むろ…
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シベリア抑留では日本人将兵が氷点下30度、眠ったまま死亡した
満州国、樺太、千島列島、さらには朝鮮の一部で武装解除され、ソ連の捕虜収容所に送られた日本人「捕虜」は、推定60万人から70万人といわれた。膨大な人員である。これだけの日本軍人や兵士が、シベリアを中心…
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プーチンが受け継いだ「目的のためには手段を選ばない」哲学
武装解除後に収容所に入れられた日本軍の将兵は1000人単位で大隊をつくり、列車に乗せられた。2カ月分の食料を持参してというわけにはいかず、多くの兵士は着の身着のままで列車に乗った。「ダモイ(帰国でき…
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北海道制圧の代わりに行った日本軍人のシベリア連行
スターリンは北海道北東部の左半分を自国の勢力圏に組み込もうとしていたが、結局はトルーマンの拒否にあい、諦める形になった。軍事で北海道上陸を実行しようという計画もアメリカ側の強い抵抗が予想されるため諦…
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日本の敗戦直後から駆け引きを…スターリンが命じた「北海道上陸作戦」
ワシレフスキーの電文は、関東軍の総参謀長である秦彦三郎に閣下(スターリン)の指令通り伝え、「あらゆる意味で我が軍に好都合の条件が作られた」と報告した上で、クリール列島守備隊の武装解除を要求したとも伝…
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第二次世界大戦の敗戦からひもとく 日本がソ連の衛星国になった可能性
ロシアのウクライナへの軍事侵攻は直接にはどのような弁明、弁解も成り立たないと思うが、むろんロシアにはロシアの言い分があるだろう。ウクライナの反ロシアの動きをネオナチと批判しているが、こういう言葉を用…
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私がロシア人3代記の取材を諦めた理由
ウクライナのゼレンスキー大統領の演説を聞いて、日本国民はどう思っただろうか。言い方が適切か否かは別にして、この演説からはなんとか日本国民の精神的、物質的支援をとの期待が感じられた。44歳のこの大統領…
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昭和20年8月9日、ソ連軍は日ソ中立条約を平然と破って侵攻した
23日の午後6時から、ウクライナのゼレンスキー大統領がオンラインで、日本の国会議員に支援の要請やこれまでの支援に対するお礼を含めての演説を行った。すでに多くの国に対してオンライン演説を行ってきたわけ…
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プーチンの独裁政権は「内部」と「外部」から崩壊する
スターリンは第2次世界大戦で連合国に組み込まれ、結果的にファシズム勢力を打倒するのに中心的な役割を果たした。ドイツのナチス権力を打倒したことはスターリンの満足感を刺激しただけでなく、ソ連の国民がスタ…
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プーチンがウクライナを侵略した「3つの理由」
こういう言い方は乱暴だといわれるかも知れないが、ソ連は人類初の社会主義体制を試みた国家として、歴史に名を刻まれている。社会主義体制とは人為的な理論の実践ということでもある。1917年に初めて人類史に…
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20世紀の帝国主義的軍事行動は通用しない 基本的人権をもたらすのは露国民のプーチン批判
このプーチンによるウクライナへの侵略戦争は、どのような形で決着がつくのだろうか。軽々にその方向を予測することは避けたいのだが、大状況で言うならば、プーチンの政治的失敗に終わるであろう。その理由もロシ…
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ロシア社会に「戦争反対」の市民革命が起きる可能性
ソビエト連邦が崩壊した時に、ゴルバチョフ体制を支持する青年世代の中には、労働者や人民といった意識と明らかに違うタイプが育っていた。モスクワのアルバート通りでは複数の青年が道行く人に向かって演説してい…
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プーチンの残酷と非道のルーツはスターリンにあった
第2次世界大戦中のソ連はドイツの侵略に対して、それこそ国の存亡をかけて戦った。確かにスターリンの戦略はヒトラーの司令部の戦略を読みきれず打撃を受けるときもあった。だが、祖国防衛大戦争の名の下に国民の…
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スターリン体制で司令官らは処刑され、捕虜の家族はシベリア送りにされた
スターリンとプーチンに共通点があるとの見方は、たとえば独ソ戦の初期を考えてみれば容易に想像がつく。1941年6月22日に、ソ連は突然ヒトラーの軍隊の進撃を受けた。これはスターリンにとってまさに不意打…
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スターリンとヒトラーは独ソ不可侵条約でヨーロッパ分割をもくろんだ
これまで見てきたようにスターリンは、第2次世界大戦の始まりの年(1939年)と終結の年(1945年)に2つの秘密協定を結んでいた。この政略は、ソ連が社会主義国家として生き残るためのまさに権謀術数その…