保阪正康 日本史縦横無尽
-
「負ける前に死ねば負けたことにはならない」という戦争末期の歪んだ心理
太平洋戦争は次第に日本の敗戦が明らかになっていった。それが誰の目にも明らかになっていったのは、サイパン陥落からであった。真珠湾攻撃から2年8カ月目に当たるのだが、これ以降はもう日本はどのような状況に…
-
太平洋戦争は「和睦」を主張しただけで死刑になった時代
太平洋戦争は3年8カ月間続いたわけだが、日本の国力がそれに耐えるだけの実力を持っていたかとなると、はなはだ疑問である。ドイツが降伏した後はたった1カ国で世界の大半の国々を相手に戦う状態になったのだか…
-
反東條の政治結社一派が貼った「英機撃滅」のビラには内務省が慌てた
大日本言論報国会のように、官僚が主導権を握って国民生活を戦時下体制に組み込んでいくことが、戦況の悪化とともに激しくなった。このことは生活の細部にまで国の意思を貫徹させようとする官僚の悪癖であり、なん…
-
「大日本言論報国会」は戦時体制づくりのために評論家を締め出した
太平洋戦争は3年8カ月続き、戦況が悪化すると次第に異様な心理空間が出来上がっていった。最終的には日本は神国である、決して戦争には負けないと言い出すのだが、そこに行き着くまでにはいくつかの道筋を通って…
-
日本海軍の奇襲攻撃後 FBIは大使館員を裸にして取り調べを行った
アメリカ側は真珠湾の状況を細かく調べている日本のスパイについて当初、知らなかった。日本海軍の奇襲攻撃の後、こうした爆撃はなぜ起こったのか、つまり戦艦の状況を細かく日本側が知っていたのは何故なのかをF…
-
吉川猛夫の最終電報…空母、重巡がすべて出港したことへの無念
ハワイの日本総領事館に籍を移し、密かに真珠湾のアメリカ太平洋艦隊の動向を調べていた吉川猛夫は、軍令部の命令がより現実的になることに驚いた。12月1日からは吉川も極めて具体的に艦艇の動きを報告していた…
-
真珠湾スパイの吉川猛夫は「防雷網」で攻撃に気づき任務の大きさに震えた
吉川猛夫の著書「真珠湾スパイの回想」によると、真珠湾に近づくのは極めて難しかったという。不用意に近づいてくる民間人は容赦なくFBIに調べられる。吉川のように外交官の肩書を持っている者ならたちまちのう…
-
日本の駐在武官はFBIから徹底監視を受けていた
戦争にはスパイの話がつきまとう。真珠湾攻撃の時にもいくつかの情報工作員の話が語り伝えられている。最も有名なのは、開戦の10カ月ほど前からハワイに送られて、真珠湾の様子や出入りする艦艇の情報を調べてい…
-
開戦通告を読んだハル国務長官の怒りは実は演技だった
開戦通告の遅れについて、もう少し大使館内部の状況を語っておこう。この日(1941年12月7日)は日曜日で、大使館業務は止まっていた。前日の夜に、館員たちは次の赴任地のメキシコに向かう寺崎英成の送別会…
-
米国人タイピストからの情報漏れはなかったのか?
駐米日本大使館のタイピストは、全てアメリカ人であったという。実際にその頃、日本には英文タイピストが全くいなかったのだから、仕方ないといえば仕方のないことであった。このタイピストたちは人材派遣会社から…
-
日米断交の通告文書はなぜタイピングが遅れたのか
昭和16年12月8日の真珠湾攻撃に至るプロセスで、あるいは戦時の段階で、さまざまな形のエピソードがあった。それを個々に紹介しているわけだが、この種の歴史的秘話をさらに細かく見ていきたい。そうすること…
-
日本人は真珠湾開戦の前日までJ・スチュアートやG・クーパーの映画を見ていた
アメリカ社会で真珠湾攻撃はいかように受け止められたのか。つまり日本の国民はルーズベルトのわら人形に竹やりを刺して、敵を憎んだが、アメリカ国民はどんな反応を示したのか。その具体例をもう少し詳しく調べて…
-
敵を憎む戦争文化から生まれた「男は断種され、女は強姦される」という妄想
「大東亜戦争」が始まってからの日本社会は、「敵を憎む」という教育が至るところで行われた。戦争はむろん敵との軍事衝突であり、それは生か死かの戦いである。それゆえに敵を憎むという感情は何よりも強調されたの…
-
国民は虚構空間に身を置くことで忠実な臣民となり得た
チャーチルが見抜いた日本語でつくり上げた虚構空間。そこには事実と虚構が入れ替わった奇妙な世界があった。 戦時下の第81回帝国議会はその例であった。東條首相兼陸相は、私には戦勝の自信があると言…
-
大本営発表のカラクリを見抜いた英国チャーチル首相
戦時下の日本社会では、空虚な言葉と言語が幅を利かせていた。帝国議会では何一つ具体的な内容はなく、ひたすら皇国の優秀さを繰り返し、互いに満足するという光景が演じられた。海軍出身の財界人である伍堂卓雄(…
-
日露戦争で上級職は謙虚に向き合い、兵士の死を避ける努力をした
軍事指導部は今次の戦争で、死を恐れぬ臣民を必要としていた。結果的に九軍神は、その役を担うことになった。その構図を説明しなければならない。この点についてはすでに紹介した牛島秀彦の著作「九軍神は語らず」…
-
特殊潜航艇の攻撃隊員10人が「九軍神」になった理由
真珠湾奇襲攻撃はむろん連合艦隊の航空部隊の空からの攻撃であったが、実は潜航艇による攻撃も計画されていた。この潜航艇は全長が23.9メートルの2人乗りで、魚雷2本を積み、呉軍港から真珠湾を目指して出発…
-
「撃破」が「撃沈」に…海軍上層部の嘘の書き換えで負け戦が勝ち戦になる
「大本営発表」について、もう少し語っておこう。確かにこの発表は嘘、誇大、捏造といった部分が多いのだが、緒戦の戦果の良い時はある程度、事実に基づいていた。特に真珠湾攻撃の成功やマレー作戦、香港作戦などの…
-
大本営発表846回は「嘘と改竄、捏造の繰り返し」だった
真珠湾攻撃で日本中が沸き返った時、戦争開始を伝える「大本営発表」は、まさに国民のカタルシスの象徴であった。 その第1号は昭和16(1941)年12月8日午前6時の発表で、内容は「帝國陸海軍は…
-
真珠湾攻撃が生んだアメリカ国民の怒りと暴力
昭和16(1941)年12月8日の太平洋戦争開始時の歴史的エピソードを、さらに紹介していくことにしよう。こうしたエピソードの背景には、日本社会のさまざまな顔が見え隠れしている。 すでに知られ…