保阪正康 日本史縦横無尽
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アインシュタインと日本の科学者の共通点
軍事指導部と科学者の対立は昭和19年7月のこの時も、それ以後も表立って論じられたことはない。しかし戦争しか考えていない軍事指導者の目に、このウラン爆弾は威力があるとすればするほど魅力的な武器に映った…
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「日本がウラン爆弾を持ったら、より悲惨になった」と断言した将校もいた
サイパン陥落時のそれぞれのウラン爆弾への態度はさまざまに揺れていた。しかしあえて分けて考えると以下のようになった。 1、仁科芳雄研究室所属の科学者──原理の研究はする。開発製造の研究は行う。 …
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サイパン陥落で「何が何でもウラン鉱石を探せ」との命令が…
陸軍の兵器行政本部の第八技術研究所で技術将校だったYは、軍に徴用される前に理化学研究所の研究員を務めていた。東京帝大で鉱物資源について学んだ。理化学研究所では仁科の研究室ではなかったものの、研究員仲…
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「ウラン爆弾は精神力で開発できる」という見方
田中館愛橘の貴族院での質問は、この年(昭和19年)に2回にわたって行われているが、そのひとつは国語問題であった。もともとローマ字論者の田中館は、そのような内容を質問できる時代ではないことは承知してい…
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軍人たちが言い回った「神風が吹く」は、ウラン爆弾への願望だった
軍事指導部は決戦兵器と称して、ウラン爆弾に強い関心を寄せていた。といってもその詳しい内容を知ることはなく、「マッチ箱一箱のウランで、街を吹き飛ばすような新兵器が開発されている」という噂を信じていたの…
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陸軍幹部はウラン爆弾の仕組みを知り「早く決戦兵器を造れ」と命じた
アメリカがマンハッタン計画のもとで、本格的にウラン爆弾の製造に乗り出したのは1941年12月だといわれている。膨大な予算と人員、加えてウラン235をウラン鉱石から抽出するのに要する鉱石の全体量など、…
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アインシュタインは「ヒトラーに原爆を持たせてはならない」と懇願した
第1次世界大戦の毒ガスと、第2次世界大戦の原子爆弾は極めて残忍な殺人兵器であった。国家総力戦になって、戦闘員や非戦闘員の区別なく殺害の対象になったのは、特に原子爆弾が登場してからであった。 …
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海軍でも進んでいた「東條暗殺計画」高木惣吉は強い不信感を抱いていた
陸軍内部に東條暗殺計画があったように、海軍内部にも、そして民間側にも同様の計画があった。具体的な内容を伴っていたかとなると、すでに紹介したように陸軍の参謀と石原莞爾系の東亜連盟の会員による計画がより…
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東条英機の命を救った運命の「7月18日」、TとUは計画を中止した
東條首相が辞任に追い込まれるプロセスでは、深刻な東條排斥の動きも加速していた。具体的には東條の暗殺計画や、より徹底した排除の動きであったが、暗殺計画はいくつかのルートで練られていたのである。そういう…
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クーデター案も飛び出した 東條内閣「内輪割れの崩壊」
重臣たちは一様に東條の戦争指導政治に批判的であった。その強引さなどを嫌ったわけだが、さりとて後任として、誰がその役にふさわしいかとなると特に想定している指導者がいるわけではなかった。重臣の近衛文麿と…
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東条英機に向けられた米内光政、岸信介らの造反
東條内閣倒閣の模様を詳しく見ていくと、結局は重要な視点が4点浮かび上がってくる。いわば結論とも言えるのだが、これを初めに紹介することで、近代日本のさまざまな矛盾や錯誤が明らかになる。その4点とは次の…
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天皇の前に歩み出て真意かどうかを確認した東條英機の悪あがき
「東條英機ではこの難局を乗り切れない」という声は、軍内にも天皇周辺にも広がっていった。サイパン陥落によって本土への攻撃が日常化する事態が、国内の要人たちに恐怖感を与えたのだ。東條の独裁体制に抗するのも…
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米軍のサイパン攻撃に喜んだ東條英機の暗愚 現実の戦力は知らなかった
サイパンは難攻不落の地。要塞が堅固であり、実際にすぐに破られるものではないと、軍事指導者は信じていた。この頃に参謀総長も兼ねていた東條英機首相は、海軍側にここの要塞はすぐに破られるものではないと豪語…
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「昭和史を書いたら、私はおかしくなる」という司馬遼太郎の言
作家の司馬遼太郎は結局、昭和史についてはまったく書かなかった。なぜ書かないのか、その理由をエッセーなどで明かしている。 たとえば「『昭和』という国家」の中では、昭和という時代を書く気が起きな…
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司馬遼太郎も昭和の歪みを「書いていて実に精神衛生に悪いところを持っている」と指摘した
学徒出身の将校である田中徳祐は、師団長の斎藤義次が生存兵に最後の訓示を行ったあと自決の準備をしているのを見て、異議を申し出た。「最後の一兵まで指揮を執ってください」と言ったのである。すでに洞窟周辺で…
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田中徳祐が綴った…将兵の「人間とは思えない亡霊のごとき姿」
サイパン守備隊の責任者たちが自決した模様はそれぞれの証言者によってかなりの違いがある。3人揃って古式にのっとっての死、兵士たちが見た3人バラバラの自決。その違いを見ていくとあることに気がつく。いわゆ…
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南雲忠一は重要書類を焼き、命令書を読み上げて自決した
サイパン守備隊の責任者たちの自決は、この地で戦っている将兵、そして民間人の具体的な方向性を不明にさせた。日本国内ではサイパン陥落を伝えていない。国民に難攻不落のサイパンと喧伝していたのだから、それが…
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サイパン陥落の責任を取った3司令官…南雲忠一、斎藤義次、井桁敬治の壮絶な自決
サイパン陥落時の悲惨な光景は、これまでも多くの書によって語られてきた。「悲惨な」というのは単に兵士が絶望的な戦いを挑んだという意味のほかに、この地に住んでいた民間人も戦闘に巻き込まれて亡くなった上に…
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サイパンに日本の要塞などなかった 材料も工具も届かない陣地構築計画
サイパンが陥落すれば、アメリカ軍の飛行機は一気に日本本土を爆撃することが可能になる。日本の工業地帯、戦略的に重要な地域はほとんど爆撃の対象になる。それだけにサイパンは不落の地であり、強固な要塞が出来…
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作家らの日記が家宅捜索の対象となった不快な時代
さて昭和19(1944)年7月のサイパン陥落後の戦時下社会が異様な空間になっていったことは、改めてこの戦争を見つめるときの重要な視点である。神国の神兵は、天皇という神に命を捧げる存在となっていく。い…