保阪正康 日本史縦横無尽
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ソ連社会の崩壊…ゴルバチョフを罵りレーニンに騙されたと怒る若者たち
ヤルタ会談についてもう少し触れておくことにしよう。この会談で重要な議題になったのが、戦争終結後のポーランド情勢であった。つまり亡命政権か、それとも現地で戦った政権かという点にあった。スターリンは戦後…
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千島列島のソ連への引き渡しは、スターリンとルーズベルトの秘密協定で決まった
ソ連が第2次世界大戦の開戦時にヒトラーと謀って戦争を始めたということは、しばしば政治問題化している。この大戦から70年の折(2015年)、欧米ではロシアも開戦の一役を担っていたとの論が表面化して、プ…
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ヒトラーの軍事行動とウクライナ侵略の類似 ソ連も第2次大戦の火付け役だったのか
プーチンがゴルバチョフよりもスターリンに畏敬の念を抱いていることは、その性格からいっても容易に理解できることである。自らが置かれている状況を改革改善するよりも、状況の中で独裁者として振る舞い、自分の…
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天に唾するものは自らに降りかかる
プーチンがスターリンと同じような手法で、歴史を変えようとしていることは明白だ。この手法は極めて単純で、目的のためには手段を選ばないという一点である。軍事侵攻、裏取引、敵の敵は味方、虚言などいくつかの…
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ウクライナ侵略でプーチンが犯した「2つの過ち」
日本が最終的に降伏の意思を固めた理由は、日本本土が徹底的に爆撃され国民に厭戦気分が広まったためとか、広島・長崎への原爆投下、ソ連が中立条約を破って宣戦布告したことなどがすぐに考えられる。頼りにしてい…
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米軍機の警告ビラを読まず、警察に届けた正直者だけが爆撃で死んだ
日本本土にまかれるビラは、極めて手の込んだ心理作戦の一端としての武器ともいえた。銃後の国民には前戦で戦う兵士とは別な内容であることはもちろんなのだが、とにかく厭戦思想を引き出して、軍事指導者の言い分…
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米軍は20種類のビラで日本人に心理的威圧を加えた
サイパン陥落以降、太平洋戦争の様相は大きく様変わりしていった。そのことをまずはB29を中心とする本土爆撃で語ってきた。当初は軍事関係の工場や施設を狙ったが、日本の家内制手工業の町工場に依存する体質か…
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無条件降伏までの戦いを続けるならば、東京の中心部で市街戦が起きた可能性も
もう少し無条件降伏という語の意味を考えながら史実を確認していきたい。 ルーズベルトがこだわったこの意味は、2つの解釈が可能だと思う。ひとつは、ルーズベルトはこの世界戦争の後に二度とこうした戦…
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無条件降伏とは他民族への征服哲学を捨てること
無条件降伏は第2次世界大戦の後半期には重い意味をもつことになった。アメリカの国務省では日本軍との開戦当時から、どういう形で勝利を収めるか、そのときの条件はどのようなものかを内々に検討を続けていた。無…
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カサブランカ会談で議論を呼んだルーズベルトの「無条件降伏」
B29による日本本土爆撃、そして日本軍による特攻作戦、さらにレイテ沖の敗戦と、日本の敗戦は明らかな状況になっている。しかし、日本の軍事指導者は戦況逆転の思いを持ちながら一億総特攻を呼号して、戦いの継…
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大戦果を信用せず絞首刑になった山下奉文の怒り
台湾沖航空戦は結局は全く事実とはかけ離れた発表で、日本国民に告げられた。大喜びはまさに実体のない喜びであった。アメリカ軍の太平洋艦隊を壊滅させたがごとき戦果は、全くの虚報にすぎなかった。 「実…
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昭和19年10月の台湾沖航空戦の「大戦果」には日本中が大はしゃぎした
個々の戦闘や海戦では敗北ばかりが続いている。その状況で国民の間には、強いストレスがあった。戦時指導者も偽りの報告をもとにして、「大本営発表」を国民に伝えていたが、彼らとて次第に何が真実なのか、わから…
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アメリカ軍がB29に積んでまいたビラで日本の虚構集団化が分かった
サイパンの陥落によって戦略が新しい段階に入っただけでなく、情報合戦も一段と活発になっていった。アメリカ軍はサイパンにラジオ局をつくり、自国の兵士を励ますだけでなく、日本軍兵士に向けて捕虜になるよう勧…
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反戦を口にしただけで密告・検挙された時代
清沢洌の「暗黒日記」は、戦時下における知識人の身の処し方を示す教科書のようなものだ。清沢は国際情勢に通じている評論家であり、そのリベラルな体質で戦時下社会をよく見ていた。同時にこの戦争の持つ問題点を…
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「アメリカの戦略」ドライなコスト計算を支えた納税者への報告義務
アメリカの軍事指導者は、最初は確かに軍事爆撃を進めていたが、軍事の指導者の間には、日本の軍事産業は大企業型の工場での航空機生産は限られていて、都市に集中した家内制工場のような町工場での生産が多い。そ…
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飛龍によるサイパン攻撃は23機のB29に損害を与えた
日本上空に飛来するB29に対して、日本側も反撃したいのは当然だが、実際は物量的に反撃する余裕が失われていた。マリアナ諸島が制圧されれば、日本はもう勝ち目がないことは軍事的に明らかであった。加えてアメ…
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「復讐は快いもの」本土爆撃、ライフ誌が紹介したパイロットたちの証言
アメリカ軍の日本本土爆撃は、昭和19(1944)年6月ごろから主に中国の成都から爆撃隊を編成し、八幡製鉄所などを狙って始まった。こうした攻撃は「空の要塞」と言われたB29の開発に成功し、アメリカの戦…
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女子学生によるB29を迎撃する高射砲の角度計算は正確だったのか?
東京女子高等師範学校(現・お茶の水女子大)の数学科の学生らによる試算が正確だったのか否かは判然としない。私が当の女子学生たちから「私たちの計算はどうだったのでしょうか」と尋ねられたのは、昭和の終わり…
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大本営に呼ばれた学生らの三角関数による計算の目的は、B29撃墜だった
マリアナ諸島から飛び立ったアメリカ軍の爆撃機は、日本本土の主要工業地帯を徹底して狙い続けた。軍事用語では「戦略爆撃」とも言われるのだが、具体的には軍需生産に関わる一切の工場、通信、輸送、さらには交通…
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敗北を信じる日本人は昭和19年12月の10%だったが、昭和20年8月には68%に急増
米軍はサイパン陥落に続いて、隣の島というべきテニアン島、さらにはグアム島へと上陸作戦を行った。これらの日本軍守備隊も事実上、玉砕という形になり、アメリカ軍はこの3つの島の航空基地から、日本本土爆撃を…