保阪正康 日本史縦横無尽
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米国の青年がデモクラシーを語ることに嘆息した東條 側近との面会では反省も呟いていた
石原莞爾の東條批判は、前回も紹介したように徹底していて、そこには「犬」呼ばわりするほどの憎悪感がある。もとより石原にはそれだけの雑言を浴びせるだけの理由もあるわけだが、昭和陸軍の研究者が見落としてい…
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「東條は犬。犬を裁くのは米国の恥だ」と公然と批判した石原莞爾
石原莞爾は、自らが独自の戦争観や歴史観を打ち立てただけに、無思想、無定見、無自覚の軍人や政治家に強い憤りを感じるタイプであった。その意味では人を見る目は、決して鷹揚なタイプではなかった。特に東條のよ…
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理論派の石原莞爾を閑職に追いやった村役場の小役人・東條英機
石原莞爾と東條英機の対立は、昭和陸軍の軍人像を語るときのもっともわかりやすい例である。理論派で才気走った切れ者・石原と、村役場の小役人・東條と評された2人は、互いに意識していた。私は、この対立が戦後…
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備忘録に凄まじい記録 国民を死地に追い込んだ責任感が欠如した東條英機
石原莞爾のように、満州事変に自省の念を漏らした軍人はそれほど多くはない。最も甚だしいのは、兵士の士気が落ち、国民が脆弱だから戦争に負けたのだという軍事指導者である。石原と対立関係にあったのは東條英機…
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石原莞爾は「満州事変で沢山の若者を殺してしまった。悪いことをしたのだ」と言った
石原莞爾の秘書でもあり、同志でもあった高木清寿は、石原の家を包むように広がっていた雲が、ゆっくりと空に上がっていくのを、呆然と見つめていた。黒雲は空の雲に吸い取られるように消えていった。「私はこの時…
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板垣征四郎の夢を見ながら命を閉じた石原莞爾
石原莞爾が病死したのは、昭和24(1949)年8月15日の夕方である。最期は銻子夫人、秘書であり同志だった高木清寿、さらには東亜連盟の門弟らが看取っている。60年の生涯であった。日本が戦争に負けて4…
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自殺した中野正剛の門下生は戦後、元憲兵隊員を山中で詰問した
戦時下のさまざまな霊の話、さらには戦時下で召集されることを巧みに拒否する話、隊内暴力に対する戦後になっての復讐話などいくつかを語ってきた。戦争は終わった、という時には実は終わっていない。兵士たちの心…
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「懐かしいなあ」と言いながら、殺意で首を締めた元兵士が抱える隊内暴力の闇
戦場に出てみて、自分たちはつまりは「死」の世界にいるのだと兵士たちは気がつくのである。戦記文学はそのような過酷な状況での人間の運命を描いている。 五味川純平の「人間の条件」(昭和31年)は、…
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将校を殴り返した博徒は戦死率が極端に高い部隊に転属になるも…
日本軍の組織原理は、天皇の軍隊として、天皇に忠節を誓い、天皇に全存在を預けるのを建前とした。兵士たちは上官の命令は天皇の命令と思え、とも教育された。職業軍人はそれを最大限に利用して、兵士、下士官を自…
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「役立たずだ」と軍隊から追放…彼はなぜ行進ができなかったのか?
軍に召集されるのを拒むさまざまなケースを書いてきたが、もう少しこうしたケースを語っていこう。このようなケースは、むろん反戦意識とは別の厭戦、嫌戦意識といってよいだろう。国家に対して、自己を対等の立場…
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太陽を1週間見つめ、当日は少量の飲酒をし兵隊検査を受けると…
1960年代である。東南アジアの某国に対して、日本側が経済援助を行うことになった。日本側の代表団がその国を訪問して、経済閣僚や企業家グループの要人と打ち合わせを行った。そのグループに日本の動きに詳し…
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思想的背景よりも実利主義者 ニセ結核患者に化けた兵士を見抜く4つの特徴
青年軍医の前で激しく咳き込む。いかにも結核患者のような振る舞いである。むろんそれは序の口である。そして「故郷ではおっかさんと妹が朝から晩まで田んぼに出て働きづめだし、わしがいないから畑は草ぼうぼうだ…
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実行して内地に戻った例も 「ニセの結核患者」になり合法的に脱走する方法
どのような軍隊でも、軍内暴力(私刑)といじめ、そして陰湿な復讐などは当たり前のように起きたと言っていいように思う。特に戦時下になれば、そうした行為は日常的になる。なぜなら戦争それ自体がそのような性格…
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葬式を出し戸籍を消して逃げ回った男
戦時下での心理的な歪みの話をもう少し続けよう。戦争が激しくなると、召集の範囲は一気に広がっていく。30代で子供もいるというのに召集されるとなると、当然ながら兵役を逃れるためにさまざまな手段を弄するこ…
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病室に現れた敵兵に銃で狙われた旧日本兵 生への意欲を喪失した患者の話
昭和50年代の終わりから60年代、そして平成に入って間もない頃にだが、高齢化社会に突入とメディアが報じていた。いわゆる老人医療が乱脈になっていて、医療費の膨張が懸念材料と騒がれてもいた。そんな時に実…
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昭和18年4月18日 日本全国で山本五十六の霊の火の玉が目撃された
戦時下での幽霊話はいくつもあるのだが、戦死した息子が火の玉になって帰ってきたという民話が意外に多い。真夜中、玄関に明るい火の玉が見えた、日をおいて息子の戦死が告げられたというのである。火の玉は人の魂…
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元衛生兵が語る真夜中の便所で目撃された「両足切断の幽霊」
これはやはり衛生兵の体験を持つ元兵士から、昭和の終わり頃に聞いた話である。衛生兵の話は、全国的に密かに広まる傾向にあるのだが、特にこの種の話は戦後の戦友会などで話されて広がっていった。とはいえ、戦友…
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「おまえ、死んだんじゃないのか」青酸カリを飲ませた二等兵が幽霊として…
この大学教授は軍隊への入隊時の話になると、次第に記憶が鮮明になってくるそうだ。将校に侮辱されたり、下士官に私的リンチを受けたことなどを思い出すと精神のバランスが崩れる。人間としての尊厳を著しく傷つけ…
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温厚に話していた大学教授はニューギニア島で餓死した友人のために怒鳴り出した
戦時民話についてさらに話を進めよう。兵士たちが夢枕に立って、「おっかさん、死にたくないよう」といったとか、出征した息子がまるで幼年時代に戻り、母親の布団に潜り込んできたといった話は枚挙にいとまがない…
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数珠を握り、戦友の亡霊を見ながら語る元兵士「戦死した仲間の顔です」
戦後になって、かつての戦地に遺骨収集に赴いた人たちが伝えた戦時民話はいくつもある。前回で触れたアッツ島(これは太平洋戦争ではじめての玉砕であった)への遺骨収集では、収集を終えて日本に帰る船が港を離れ…