伝説の浦島オーナー告白 昭和の夢は夜開く
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キャロル時代の矢沢永吉も出演 今も思い出す生バンド演奏
多くの男性客を楽しませてくれたキャバレー「ウラシマ」チェーン26店舗は、1970年代末までに、徐々に幕を閉じていった。 オーナーとして奔走してきた三浦稔さんの思い出に残るひとつに、生バンド演…
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石油ショックには勝てず…26店のキャバレー経営が立ち往生
キャバレーチェーン「ウラシマ」を都市部中心に26店舗まで増やした三浦稔さんは、次の経営戦略として地方へ進出。キャバレーのフランチャイズ化に乗り出した。 店舗面積50坪、客席78席を標準にして…
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暴力団との尽きないモメごとは警視庁OBの役員に処理させる
「三浦さんの趣味はうらやましい。女性集めが商売なんだから」 1970年代、2~3カ月に1店舗の割合で、キャバレーチェーン「ウラシマ」を増やしていた三浦稔さんは、友人からこう言われた。 …
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ホステスの源氏名 人気ナンバーワンは「ユカ」です
キャバレーの全盛時代は1960年代後半から70年代後半までの10年ほど。全国にキャバレー店が200店舗を数えたといわれる。 「ウラシマ」チェーンの三浦稔社長も、最盛期で東京を中心に28店をオー…
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ホステスは馴染み客に電話攻勢 店歌もできて快進撃
1970年代初頭、キャバレーチェーン「ウラシマ」は業績を伸ばし、怒涛の快進撃を続けていた。長野、仙台、岡山など地方都市にも開店を模索しながら、店の歌までできていたのである。こんな歌だった。 …
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儲かりすぎて…ある晩、現金集金車が運転手ごと消えた!
大衆キャバレー「ウラシマ」は、下町に住む個人事業主や職人の客層をターゲットにした。JR「鴬谷」駅前の第1号店(1968年)を皮切りに、五反田、浅草橋、大井町、赤羽とチェーン店を増やしていく。 …
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1000円の料金とミニスカートでキャバレーはたちまち評判に
キャバレー「ウラシマ」チェーンの第1号店は、JR「鴬谷」駅前の2階建て木造家屋を改装してオープンした。 それまでバーなど数年に及ぶ水商売の経験を持っていた。だが、三浦稔さんにとって、ホステス…
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ミニスカ・ホステス80人を集め さあ「ウラシマ」第1号開店
かつて東京・JR「鴬谷駅」南口改札を出て、坂道を100メートルほど下ると左手にキャバレー「ウラシマ」が見えた。1968(昭和43)年、三浦稔さんが、約1000万円を投じてオープンした「第1号店」であ…
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月給8000万円でホステス集めついに第一号店「ウラシマ」を
1968(昭和43)年、35歳の時に三浦稔さんは、東京・JR鴬谷駅南口から徒歩5分の場所に、キャバレー「ウラシマ」第1号店をオープンした。 木造2階建ての賃貸家屋を改装し、2階合わせて約10…
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どこよりも早くミニスカートを制服にして大成功
日大芸術学部の学生時代から三浦稔さんは、アルバイトにキャバレー・ボーイを選び、都内のキャバレーを転々とした。 25歳のときに一本立ちし、従業員3人ほどを雇い、初めて東京・浅草にトリスバー「ロ…
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親しくしていた教授の思いがけない後押しで夜の世界へ
「日本全国に、乙姫様が接待する竜宮城を築きたい」――。1951年、日大芸術学部に通学していた学生時代、こんな遠大な理想郷を描いた三浦稔さん(埼玉県所沢市在住)は、アルバイトを夜の世界に求めた。 …
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日大芸術学部時代から福富太郎氏のもとでキャバレー修業
キャバレーチェーン「浦島」を覚えておられるだろうか? 日本経済が飛躍的に成長した昭和43(1968)年から昭和50(1975)年まで一世を風靡(ふうび)した夜の社交場だ。フロアでロングドレスのホステ…