名伯楽・内田順三「作る・育てる・生かす」
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三振の元木「3球アウトローに決められたら打てませんわ」
■クビ危機翌年、首位打者になった嶋 広島時代、球団に頼んで戦力外を覆してもらい、「1年」だけ猶予をもらった嶋重宣。しかし、2004年のオープン戦終盤についに失速。控えに回ることになった。 …
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広島・嶋の戦力外を覆し「1年ください」と球団にお願いを
一度は戦力外が決まっていたところから、這い上がった男がいる。現在は西武の二軍打撃コーチを務める嶋重宣である。 1994年のドラフト2位で投手として広島に入団。99年から野手に転向し、2002…
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正田はV旅行先ハワイのゴルフ場にもバットを持ち込んだ
1985年シーズン終盤、私とマンツーマンで密かにスイッチヒッターの特訓を積んできた正田耕三が、ついに実戦で「左打席」をお披露目することになった。 以前、言ったことをすっかり忘れていた古葉竹識…
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言ってあったのに古葉監督は「正田?なんで左?」と驚いた
私のコーチ人生の「原点」といえる話だ。 広島でコーチになって3年目。一軍打撃コーチ時代に初めて「私がつくった」といえる選手に出会った。1984年のドラフト2位で入団した正田耕三には、私の方が…
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過酷練習で成長 鈍足の江藤智が走塁で長嶋監督を驚かせた
1990年代にカープの主砲だった江藤智は、88年のドラフト5位で捕手として入団した。私は二軍打撃コーチ。この時すでに右肩を故障していて、二塁まで強く送球できない状態だった。 一方で打球の飛距…
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前田智は入団当初から先輩からの食事の誘いを断っていた
前田智徳のティー打撃は芸術的だった。正確性、再現性が高く、試合前に巨人の松井秀喜が見入ったほどだ。右足を高く上げたり、反動を使うことはない。基本に忠実な、シンプルなすり足打法。前の壁をしっかりつくり…
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金属のような音 “孤高の天才”前田智徳の芸術的ティー打撃
「アーノルド・パーマーみたいだな」 丸佳浩(30=現巨人)に、そう言ったことがある。なんのことかというと、スイングをした後に右手でバットを上げるしぐさが、往年の名ゴルフプレーヤーに似ていたから…
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野村監督の部屋の黒板には二軍選手の成績や内容がギッシリ
広島の2016年からのセ・リーグ3連覇は、丸佳浩(現巨人)、菊池涼介、田中広輔、鈴木誠也といった生え抜きの主力がチームを牽引した。監督は緒方孝市だが、若かった彼らを二軍から一軍に引き上げ、我慢強く起…
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1999安打放った後 バット持った野村が玄関先に立っていた
「絶対に2000本を打たせたい」 2002年のオフ、巨人から広島の一軍打撃コーチに復帰した私に、山本浩二監督が言った。 チームリーダーの野村謙二郎のことだった。その時点で通算1763安…
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全治1カ月の野村は大下ヘッドにカミナリ落とされ3日で復帰
1990年、ロッテへ移籍した高橋慶彦に代わり、入団2年目の野村謙二郎がショートのレギュラーに定着した。 足は速いし、小力がある。入団当初は外野を守っていて守備力も高かった。しかし、1年目のキ…
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金本のFA移籍で大ブレーキ…新井「4番を外してください」
「どうしても結果が出ません。4番を外してください」 新井貴浩が一軍の打撃コーチだった私のところにやってきた。 2003年、金本知憲が阪神にFA移籍後、4番に座った新井は、精神的支柱だっ…
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「1日1000スイング」指示を忠実に実行したのは金本ひとり
同い年の緒方孝市にライバル心を燃やしていた金本知憲も思い出深い。 東北福祉大から1991年のドラフト4位で入団。1、2年目は二軍暮らしが続いた。広島は二軍の遠征費用を抑えるため、野手4、5人…
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緒方はオフに私の新築一軒家の駐車場で毎日打撃練習をした
私が広島の二軍打撃コーチを務めていた1990年ごろのこと。広島市民球場近くに新築した自宅が「練習場」に変わった。 秋季キャンプを終えた後、12月から翌年1月まではどの球団も全体練習ができない…
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ミスして悔し涙を流しても…打撃時の誠也に“殺気”を感じた
球界一といわれる鉄砲肩は鈴木誠也の魅力である。 打撃に影響しては困るため新人の時に挑戦した遊撃は断念。2年目には外野が主になった。そんな頃、誠也の右翼からのバックホームの送球を見て、私は度肝…
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誠也は巨人コーチの私に電話し「打撃フォームを変えます」
広島の4番・鈴木誠也から私の携帯電話に着信があった。 巨人の二軍打撃コーチだった2018年、シーズンの終わり頃である。打率・320、30本塁打、94打点の好成績を残した年。ところが、誠也は電…
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“金属後遺症”誠也の「アウトサイドイン」を直した練習法
広島で21年間、指導者を務めた話をしよう。 私の想像を超える選手になってきたのが、広島、侍ジャパンでも4番を張る鈴木誠也である。 私が広島の二軍監督だった2013年、ドラフト2位で入…
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天才と呼ばれた高橋由伸 3年の苦しい監督生活に残る無念
東京六大学23本塁打のリーグ記録を引っ提げて慶大の高橋由伸が、逆指名で巨人に入ってきた。 1998年、最初の春のキャンプ。由伸が衝撃を受けたのが、松井秀の引っ張った打球、清原の逆方向の打球だ…
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カープ方式徹底で G二軍監督時代に非情通告した中堅3選手
「カープ方式でやります」と鹿取GMと石井球団社長に宣言し、2017年7月、巨人の二軍監督に就任した。私はそれまで二軍で7番だった岡本和真を4番に固定した。 一方で犠牲になったのは、実績のある「…
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巨人二軍監督に就任後 まず岡本を7番から4番に固定した
松井秀が「剛」の打者なら、阿部と岡本和真は「柔」である。柔軟性がなく、引っ張り専門だった入団当初の松井秀の方が飛距離は上。一方でポッチャリした体格の岡本は肘の柔らかさとバットのしなりが使えるため、逆…
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巨人岡本には「間合い」と取るために「かず~よ」で打てと
巨人の巡回打撃コーチだった昨夏の初め、4番の岡本和真から電話がかかってきた。 「僕のバッティング、どうですか?」 一軍には打撃コーチがいる。逡巡したが、不調で苦しんでいるのは知っていた…