名伯楽・内田順三「作る・育てる・生かす」
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G坂本勇人の“前足がめくれる癖”を克服したマル秘ドリル
2014年オフに3度目の巨人コーチに就任。この頃、坂本勇人は少し伸び悩んでいた。下半身が早くほどけてしまい、上半身と連動していなかった。私は坂本にこう言った。 「打つ時、前足のつま先が地面から…
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広島4番栗原に敵将・落合監督は「四球でいい」と助言を…
私が広島の打撃統括コーチ(2008~10年)を務めていた頃、試合前に不振で悩んでいた4番の栗原を連れて中日の監督だったオチ(落合博満)に相談したことがある。 「相手から見て(栗原は)どんなふう…
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落合は「絶対に当てないから大丈夫」と涼しい顔で言った
■10分遅刻した阿部に命じた正座 2001年、新人だった阿部慎之助は開幕から正捕手を務め、夏前に疲労がピークに達していた。 練習量が減る横浜スタジアムや神宮でビジターの試合がある場合、…
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阿部慎之助はこうして高等技術「ツイスト打法」を会得した
アマ球界トップの捕手という触れ込みで2001年に中大の阿部慎之助がドラフト1位で巨人に入ってきた。それまで村田真一が巨人の正捕手を務めていたが、新旧の交代の時期でもあった。当時はまだスリムな体形。硬…
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長嶋監督と松井が素振り練習でつくり上げた「仮想ライン」
寮生だった松井秀喜は、ナイター後に帰寮すると、食事の後、30分~1時間ほど素振りをするのが日課だった。 二軍の打撃コーチだった私も当時は寮に住み込んでいた。2階が一軍部屋で松井は私の隣の隣の…
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ナイター後の寮の食堂で松井秀喜は私を質問攻めに
広島で打撃コーチを務めていた私に巨人からオファーが届いた。1994年、「ファームで若い選手を育てて1人でも2人でも上に押し上げて欲しい」と言われ、巨人の二軍打撃コーチに就任。やるからには中途半端は嫌…
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私が巨人を去る時、キヨが便箋5枚の手紙を書いてくれた
2002年の西武との日本シリーズ。巨人は3連勝で日本一に王手をかけていた。就任1年目の原監督には事前に今季限りで巨人を退団し、来季は一軍打撃コーチとして広島に復帰することを伝えていた。監督が選手の前…
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キヨと元木に「原さんの後に胴上げするから」と言われ…
肉体改造をして臨んだ2000年、キヨ(清原和博)は、雪のオープン戦で左太ももの肉離れで戦線離脱。開幕は二軍となり、復帰後はマルティネスと併用された。首脳陣に対して不満をモロに顔に出す場面が目立つよう…
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清原は「今日は俺、暴れていいですか?」と悔し涙を流した
キヨ(清原和博)は泣いていた。 「力を貸してください」と書いた年賀状を送ってきた2000年、オフから厳しい食事制限やウエートトレーニングで肉体改造を敢行。極限まで自分を追い込んでいた。 …
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最初は無視だったキヨが私に「僕のスイングどうですか?」
巨人で16年、広島で21年。「作る」「育てる」「生かす」を信条に打撃コーチや二軍監督など指導者として37年、現役時代を合わせると、ちょうど50年になる。巡回打撃コーチを務めた巨人を昨年限りで退団し、…