最初は無視だったキヨが私に「僕のスイングどうですか?」
清原和博(1)
巨人で16年、広島で21年。「作る」「育てる」「生かす」を信条に打撃コーチや二軍監督など指導者として37年、現役時代を合わせると、ちょうど50年になる。巡回打撃コーチを務めた巨人を昨年限りで退団し、これまで一度も脱いでいなかったユニホームをついに脱ぐことになった。50年間もプロ野球界に携われたのは、われながら自慢である。
コーチ人生を振り返ると、気になる男がいる。2016年に覚醒剤取締法違反で有罪判決を受け、執行猶予中のキヨ(清原和博)である。昨年11月に「ワールドトライアウト2019」に「監督」として参加。野球界復帰へ第一歩をしるした。もうペナルティーは受けた。今となっては再起を願うばかりである。
表に出ている「番長」としての豪快な顔は有名だ。一方で律義な一面も持つ。本来はナイーブな男といっていいかもしれない。そんなキヨとの出会いを今、思い出している。
1997年、西武から巨人へ鳴り物入りでFA移籍してきた。私は一軍の打撃コーチだったが、声を掛けにくいオーラがあった。最初の春のキャンプでのこと。あの頃のキヨは、関係者やマスコミに線引きをして、敵か味方かを見極めようとしていた。
PL学園時代から素晴らしい選手なのは知っていた。さらに西武の首脳陣から事前に性格、練習態度などを“取材”。「欠点を言われること」「人前で指導を受けること」の2つが大嫌いだと聞いた。
宮崎キャンプの一軍宿舎・青島グランドホテルの2階にバットが振れる畳の部屋があり、夜間に素振りを行っていた。浜辺の方からテレビカメラが狙っている。他の選手は遠慮があるのか、その時間は近寄らず、キヨはいつもひとりでバットを振っていた。部屋の隅でガラスに映る自分の姿を見ながら1時間ほど。私はコーヒーを飲みながら見ていた。終わった後、「キヨ、ご苦労さん」と声を掛けても返事はなく、そのまま素通り。内田って何者や? とキヨも私を探っているようだった。それから8日間、一度も言葉を交わさずに、私はひたすら観察した。すると、9日目にキヨの方からこちらへ歩み寄ってきた。
「内田さん、僕のスイングどうですか?」
内心、しめたと思った。
「昨日までの8日間、じっくりと見てたけど、バットの角度と入り方、タイミングの取り方、あとは始動の部分をイメージしてたんじゃねえか?」
感じ取ってくれたのがうれしかったのだろう。
「そうなんです。間違えてますか?」
「いや、間違えてない」
「何か気付いたことはありますか?」
「1ポイント、2ポイント、右中間に打てるのがキヨの特徴だけど、左中間にも打てるように、左膝を意識しながら軸足の右足を回して腰を回転させるのが大事だと思うよ」
「分かりました。明日から注意してやってみます」
決してオーバーティーチングにならないよう、最低限の助言にとどめた。
■年賀状に「力を貸してください」
99年、巨人が3年連続でV逸すると、左膝、左手甲、右膝と相次ぐ故障に泣かされ、成績が振るわなかったキヨに世間の非難が集中した。身内の球団幹部までキヨの人間性を攻撃していて気の毒になった。同じ一塁を守るマルティネスが残留。FAで江藤が加入した。成績と共にキヨの立ち位置は変わり、一念発起して自分を鍛えると決めたようだ。
キヨが大きな字で「力を貸してください」と書いた年賀状を送ってきたのは、肉体改造に取り組んだ2000年の正月のことだった。
◆書籍化のお知らせ◆
好評を博した連載『内田順三「作る・育てる・生かす」』が書籍化されます。
日刊ゲンダイで2020年1月から50回に渡り掲載した連載をもとに加筆、再編集。
新たに清原和博氏との師弟対談が収録されるなどパワーアップした内田氏の著書「打てる、伸びる! 逆転の育成法」(廣済堂出版)は、3月13日発売です。