昭和最後の伝説左腕 阿波野秀幸「細腕奮闘記」
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「旅行券をもらった方が良かった」と選手が口をそろえた近鉄V旅行の顛末
一軍にいながらハワイへのV旅行に参加できない選手がいた問題は、選手会長の金村義明さんが球団に掛け合ってくれてクリア、短期間でも一軍にいた選手は参加できることになった。 火種はしかし、それだけ…
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V旅行は一軍にいながらリストから外れた選手も…金村義明さんが球団に掛け合い全員参加
1989年のオフ、ハワイへV旅行に行くことになった。 なにしろ9年ぶりのリーグ優勝だ。V旅行は初めてという選手がほとんど。私も含めて多少はワクワクしたものの、淡い期待は出発前から裏切られた。…
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1989年日本シリーズ後のオフはシーズン中より体調が悪かった
3連勝しながら4連敗で巨人に敗れた1989年の日本シリーズ。 日本一の経験がない近鉄にとって日本シリーズ制覇は、まさに悲願だったこともあり、当時、なぜ私が1、4、7戦に投げなかったのかが話題…
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巨人との89年日本Sは3連勝後に4連敗…私が4戦目に投げなかった裏側
「どうだ?」 1989年の巨人との日本シリーズ。近鉄が3連勝した日の夜だったと記憶している。私は投手コーチの権藤博さんからこう聞かれた。 1年間、先発ローテーションを守り、優勝を決めた…
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89年日本S第3戦後…加藤哲郎の発言を聞きながら「もう、やめておけ」と思った
「別に、なんてことなかったですね。とりあえずフォアボールさえ出さなかったら。打たれそうな気はしなかったんで。まあ、大したことなかったですね。シーズンの方がよっぽど、しんどかったですから。相手も強いです…
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中1日のリリーフ登板から6日後、巨人との日本シリーズ初戦に完投した
「去年、今年と選手諸君が、熾烈(しれつ)な戦いの中で本当によく頑張ってくれました。僕はいま、宙に舞わせてもらったんですけれども、わたしの手で選手一人一人を胴上げしたいですね。本当に素晴らしい選手たちで…
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優勝マジック「1」で迎えた89年10.14 最後の打者には9球すべてストレートを投げた
「きょう決めるぞ!」 残り2試合で優勝マジック「1」。1989年10月14日、藤井寺球場のダイエー戦を前に、近鉄ナインは口々にこう言っていた。 ■1年前の悔しさが糧になった ロッ…
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2試合目の先発に備えて仮眠をとっていたが…ブライアントの同点満塁弾の歓声で飛び起きた
そのとき私は、西武球場の医務室で仮眠をとっていた。 1989年10月12日のダブルヘッダー。近鉄が優勝するためには連勝するしかない。1年前の川崎球場と似た状況で、1試合目の先発は高柳出己に。…
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あの「10.19」から1年後…パ・リーグ優勝争いはまたしてもダブルヘッダーに
最後の試合に勝てなかったけれども、負けたわけではない。1988年10月19日、川崎球場のダブルヘッダーで経験した悔しい思いを私はもちろん、近鉄の選手全員が忘れてはいなかった。 翌1989年の…
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仰木監督の言葉の深さ パ優勝が消えたとき「勝てないまでも負けなかった」意味
「最後の力を振り絞ったわけですけど……残念ながら、こういう結果になってしまいまして……精いっぱい、戦ったし、悔いはありません。この集団と一緒にやれた幸せをいま、しみじみと感じております」 ダブ…
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権藤博さんから交代を告げられ、ベンチ裏の控室に入るなり床にへたり込んで動けなかった
ダブルヘッダー第2試合の八回から登板、高沢秀昭さんに同点本塁打を打たれた私は九回もマウンドに上がった。 無死一、二塁のピンチを二塁手・大石大二郎さんのファインプレーでしのいだが、大石さんが二…
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九回裏無死一、二塁のピンチ…終わらない有藤監督の抗議で近鉄は時間とも戦っていた
ダブルヘッダー2試合目は同点のまま九回に入った。 九回表、近鉄は2死から大石大二郎さんが左翼線へ二塁打を放ったものの、この回無得点。私は九回裏もマウンドに上がった。 この回先頭の古川…
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常に淡々としている大石大二郎さんがいち早くハッパをかけてくれた裏側
「試合はまだ、終わってないぞ」 ロッテとのダブルヘッダー第2試合。私は1点リードで迎えた八回からリリーフでマウンドに登ったものの、1死後、高沢秀昭さんに本塁打を打たれて同点に追い付かれてしまう…
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Vまであと2イニングで同点弾…直球のサインにクビ振りスクリューボールを投げた理由
えっ! まさか……。 その瞬間、私は思わず、打球の行方を追って左翼方向を見上げた──。 1988年10月19日のダブルヘッダー。1試合目に競り勝って迎えた2試合目。八回にブライアント…
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4年連続20本塁打! 40歳で急逝した名外野手・鈴木貴久さんの思い出
ロッテとのダブルヘッダー第1試合で本塁打を含む3安打を放ち、決勝のホームを踏んだ鈴木貴久さんの自宅に行ったときのこと。 玄関のドアを開けて仰天した。廊下におびただしい数のバットとゴルフクラブ…
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捕手・山下和彦さんの信念「厳しい内角攻めでオレが打席でぶつけられても構わん」
プロ1年目、1987年のオフのことだ。 私は捕手の山下和彦さんに誘われて食事に出掛けた。晩飯をごちそうになり、その後、飲みに連れて行ってもらった。 翌日は休み。遅くなったため、そのま…
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打者の内角を厳しく攻める捕手の山下和彦さんが心配になった
2連勝がリーグ優勝の条件だったロッテとのダブルヘッダー。1試合目を競り勝って迎えた2試合目も、もつれにもつれた。 同点の八回、「エディ」ことラルフ・ブライアントの本塁打で1点を勝ち越し、あと…
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近鉄時代のブライアントは三振が嫌でセーフティーバントを試みた
外国人選手が持っていたバットを自分の太ももにたたき付け、バキッと真っ二つにするシーンを目にする。 自分の打撃に納得がいかず、怒りをバットにぶつけているのだ。打ち損じたバットは折れかかっている…
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74試合で驚異の34本塁打!“最強助っ人ブライアント”にも泣きどころが
第1試合に続いて、ダブルヘッダー第2試合も終盤にきて、もつれにもつれた。七回に2本の本塁打で勝ち越したものの、その裏、同点に追い付かれてしまう。 近鉄はしかし、八回にラルフ・ブライアントが右…
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88年シーズン近鉄「仰木マジック」の種明かし 驚異の粘り腰を引き出した采配と選手起用
2連勝がリーグ優勝の絶対条件だった1988年10月19日のロッテとのダブルヘッダー。 いまとなっては驚異とも思える近鉄の粘り腰を引き出した要因のひとつは「仰木マジック」と呼ばれた監督の采配や…