昭和スター千一夜物語
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樹木希林(2)「裕也と住むとケンカが絶えない。相手がビール瓶を投げたら、私ははさみや受話器を投げ返す…」
TBS系「寺内貫太郎一家」で老け役を好演した樹木希林さんは1975年10月からの「ばあちゃんの星」で初めて主役を獲得。森繁久弥さんの人気ドラマ「七人の孫」の“女性版”を狙った服部晴治氏(大竹しのぶの…
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樹木希林(1)義理堅い「ジュリー婆さん」の返礼は「ミキプルーン」1ダース
今年が七回忌の“怪優”樹木希林さん(享年75)とは同い年で、まだ女優名「悠木千帆」を名乗っていた頃に出会った。1970年の人気ドラマ、TBS系「時間ですよ」で人気を得た希林さんは続く久世光彦作品「寺…
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坂上二郎(5)「死に損なって無理が利かなくなったボクに健康法は嫌みでしょ?」
坂上二郎さんは大病するまで練馬区の一軒家(3階建て)に夫人と住んでいた。「僕が一番きつい階段の掃除係、おかげで足腰が鍛えられた」と恐妻家だったことを認めている。一人で散歩し、なじみのスナックに寄ると…
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坂上二郎(4)「目線はいつも下にあるほうが好きなんだ」
1974年7月の能登はうだるような暑さだった。10月からスタートのTBS系「夜明けの刑事」で初の主演の座を勝ち取った坂上二郎さんは「食いついたら死んでも離さない」スッポン(鈴木)刑事に扮していた。 …
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坂上二郎(3)「歌詞を体で覚えないと歌に感情移入できないし、振り付けの余裕も生まれない」
NHKの看板番組、大河ドラマの視聴率を破った日本テレビ「コント55号の裏番組をぶっとばせ!」が、惜しまれながら「ハレンチすぎる」「子どもに悪影響を与える」などの批判に抗しきれず1970年3月、1年間…
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坂上二郎(2)「放送コードはテレビ局が決めることで、芸人が制約を意識したら芸は生まれない」
コント55号がもっともテレビ界を驚嘆させたのは1969年4月から1年間放送された日本テレビ「コント55号の裏番組をぶっとばせ!」である。私はこの番組で、さらに二郎さんのファンになった。 番組…
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坂上二郎(1)欽ちゃんと別々の楽屋へ…「どうして稽古もしないのですか?」と尋ねると
今年はコント55号の萩本欽一さん(83)の相棒だった坂上二郎さんの生誕90年周年である。55号時代は欽ちゃんの、ちょっと意地悪な突っ込みを変幻自在に受け止める名ボケぶりを発揮、テレビ界にお笑いブーム…
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夏目雅子(6)“9.11”は夏目雅子の悲報と「三浦和義逮捕」が重なり終日大騒動に…
夏目雅子は1985年2月15日に急性骨髄性白血病で慶応病院に入院したが、8月に入ると「順調に回復」という朗報が院内で流れはじめた。気の早いマスコミは「近々退院」と報道したが、下旬から抗がん剤の副作用…
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夏目雅子(4)女優としての「出世」の裏には伊集院静氏の愛情と指導が
1982年6月公開の映画「鬼龍院花子の生涯」(監督・五社英雄)の体当たり演技で夏目雅子は一気に大輪の花を咲かせ、五社作品には同10月放送のフジテレビ系「時代劇スペシャル 丹下左膳 剣風!百万両の壺」…
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夏目雅子(4)「コーヒーを飲みながら、記者さんと会話している今は私の“素”の部分です」
長編ドラマ「西遊記」(1978~79年)の成功で人気女優の仲間入りをした夏目雅子は、ほぼ同時期にTBS系の横溝正史シリーズ「悪魔の手毬唄」で準主役。夏目の人気はさらに高まるが、バラエティー番組には「…
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夏目雅子(3)いずれ劣らぬ「女殺し」に囲まれた三蔵法師は…
夏目雅子がCMアイドルの殻から抜けて、女優として開花したドラマが日本テレビの「西遊記」である。特撮を駆使した長編で、堺正章の孫悟空、西田敏行の猪八戒、岸部四郎の沙悟浄を従え、諸国を漫遊する三蔵法師の…
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夏目雅子(2)「雅子は一徹なところがあり、応対できず、すみません」
1977年、NHKの朝の連続テレビ小説「いちばん星」のヒロインを演じていた高瀬春奈が体調不良で降板、その代役にCM「クッキーフェイス」で一躍“時の人”となった夏目雅子が内定? 事実を確かめるため、カ…
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夏目雅子(1)朝ドラヒロインの「代役」に白羽の矢…私は横浜の小達家に急行した
男性ファンから「昭和の微笑」と呼ばれて愛された女優の夏目雅子さん(享年27)が9月11日で没後40年を迎えた。化粧品のテレビCM「クッキーフェイス」で一躍人気者になり、映画「鬼龍院花子の生涯」では「…
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長嶋茂雄(5)「すまん、たばこを切らしてしまった、一本、もらえない?」
長嶋茂雄さんの巨人を支援する報知新聞(現スポーツ報知)に対し、スポニチはライバル関係。つまりミスターはライバルの新聞社、私の車内にいるのである。長嶋宅への道路は混んでいた。会話が絶えないミスターから…
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長嶋茂雄(4)「後輩に野球を教えるときも、口より先に手と足が出ちゃうんだ」
1968年11月、スポニチが企画した対談を終えた長嶋茂雄さんを、渋谷から乗せて国道246号の三軒茶屋の二股を右に折れ、いよいよ世田谷通りを経て難関路に入った。ご自宅のある上北沢までの袋小路のような細…
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長嶋茂雄(3)「運転手君、この時間帯は甲州街道の下りは渋滞しているはず」
長嶋茂雄さんが亜希子さんと結婚されて3年後、私は再び身近でミスターと接するチャンスに恵まれた。1968年の巨人は阪急との日本シリーズに勝って4年連続10回目の栄冠をつかみ、シーズンを終えた。スポニチ…
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長嶋茂雄(2)「気づかれないように、間に他の車を入れて追ってくれ」
「長嶋が婚約者と会うようだ」。「巨人-阪神」のナイターが終了、後楽園球場の報道用駐車場で待機していた私の取材車に記者とカメラマンが乗り込んだ。記者は「今、着替えた長嶋が出てくる。後をつけてくれ」と私の…
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長嶋茂雄(1)「頼む、長嶋の車を追跡してくれ。こ、今夜、婚約者と会うかも知れないんだ」
ことし米寿を迎えられた“ミスター”こと長嶋茂雄さん(読売巨人軍終身名誉監督)とはスポニチの運転手時代、2度ほど強烈な“関わり合い”を持った。最初は「長嶋婚約?」情報で、長嶋さん自らが運転する車を追跡…
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勝新太郎(13)活動の場は舞台に「出演料は現金でしたが。借金取りは一度も訪ねてこなかった」
大麻とコカイン不法所持、仮釈放中はハワイに身を隠していた勝新太郎さんは1991年に帰国。日本では麻薬及び向精神薬取締法違反で懲役2年6月、執行猶予4年の有罪判決を受けた。裁判では「傍聴者」を「観客」…
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勝新太郎(12)逃亡中の相手を電話で捕まえるとき、こちらから「もしもし」は絶対に禁物で…
勝新太郎さんは1990年1月16日、ホノルル国際空港で大麻とコカインの不法所持の現行犯で逮捕。現地での記者会見では「気が付いたらパンツに。もうパンツをはかない」と笑わせたが、摘発物の出どころは沈黙を…