昭和スター千一夜物語
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ジョン・レノン(2)長髪4人組の来日は経済、教育、思想問題まで巻き込んだ
「ザ・ビートルズ初来日」プロジェクトは招聘元のキョードー東京と主催の読売新聞と中部日本放送の3社。ビートルズ側の条件は1ステージにつき10万ドル(3600万円)=1ドル360円=を5回、つまり1億80…
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ジョン・レノン(1)丸メガネを鷲鼻からずらしたまま、上目遣いで話す澄んだ“瞳”が懐かしい
ザ・ビートルズのリーダー、ジョン・レノン(享年40)が逝って44年になっても「ジョンと1年半同棲した」という元女性秘書が現れ、ジョンとの同棲生活を綴った映画「ジョン・レノン 失われた週末」を発表。ジ…
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力道山(5)「医者から断食を命じられたのにガマンができなかった。死因は力さんの“短気”だったと思う」
1963年5月24日、東京体育館で行われた力道山対ザ・デストロイヤーの無制限一本勝負「WWA世界ヘビー級選手権」は壮絶な戦いだった。日本テレビの平均視聴率はなんと64.0%(関東地区)を記録。今日に…
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力道山(4)「1964年には東京五輪がある。頑張って代表になれば、東京でまた会える」
“リキ番記者”の松明邦彦夫人が「がんで余命3年」と知った力道山は、自分が懇意にしている病院の医師を紹介した。夫人は最高ランクの治療を受け、そのかいあって奇跡的に回復。夫人の寿命は10年も延びたのである…
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力道山(3)ジャイアント馬場が告白した想像を絶する「しごき」の中身
木村政彦を倒して名実ともにプロレス界の王者となった力道山だが、翌年の1955年、人気は急降下した。さまざまな外国人を招聘し、力道山は技に工夫を加えて熱戦を繰り広げたが第1次プロレスブームは去った。5…
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力道山(2)神戸新開地の電気店のテレビで観た伝説の「昭和の巌流島」
力道山を初めて知ったのは1954年ごろ、私は11歳だった。相撲界からプロレスラーに転じた力道山は当時、柔道家出身の木村政彦とタッグを組んでシャープ兄弟と全国各地で戦っていた。日本テレビとNHKが相次…
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力道山(1)“リキ番記者”運転手だった私が見た炎のような激しさと優しさ
今年は戦後最大のスター、力道山(享年39)の生誕100年である。11月9日に都内のホテルで開催された「祝う会」には王貞治、張本勲、徳光和夫ら各界の著名人が集まり故人を偲んだ。日本にプロレスを輸入して…
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梨元勝(2)昨日のように思い出される、利島で飲んだウイスキーの「雨水割り」
TBS系「モーニングジャンボ」ではスポーツ紙出身の鬼沢慶一さんが「大原みどり事件(歌手から大金を詐取)」で名を馳せ、前田忠明さんはフジの専属芸能リポーターとして40年間も活躍。そして福岡翼さん、須藤…
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梨元勝(1)「ボクの取材と同じで、良い物は“足”で買うのです」
梨元勝、梨ちゃんが1976年にテレビ朝日系「アフタヌーンショー」に登場したころから番組で「芸能ニュース」を伝えるリポーターたちが“主婦の花形”として脚光を浴びる時代に入った。代表格の梨ちゃんの場合、…
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樹木希林(3)「名前なんて番号と同じ。悠木千帆に特に未練はない」
希林さんの元の芸名は悠木千帆だったが、1977年4月1日(NETからテレビ朝日に社名変更日)をもって改名している。この動機も“怪優”らしくとっぴだった。当日の特別生番組で「芸能人もオークションに参加…
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樹木希林(2)「裕也と住むとケンカが絶えない。相手がビール瓶を投げたら、私ははさみや受話器を投げ返す…」
TBS系「寺内貫太郎一家」で老け役を好演した樹木希林さんは1975年10月からの「ばあちゃんの星」で初めて主役を獲得。森繁久弥さんの人気ドラマ「七人の孫」の“女性版”を狙った服部晴治氏(大竹しのぶの…
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樹木希林(1)義理堅い「ジュリー婆さん」の返礼は「ミキプルーン」1ダース
今年が七回忌の“怪優”樹木希林さん(享年75)とは同い年で、まだ女優名「悠木千帆」を名乗っていた頃に出会った。1970年の人気ドラマ、TBS系「時間ですよ」で人気を得た希林さんは続く久世光彦作品「寺…
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坂上二郎(5)「死に損なって無理が利かなくなったボクに健康法は嫌みでしょ?」
坂上二郎さんは大病するまで練馬区の一軒家(3階建て)に夫人と住んでいた。「僕が一番きつい階段の掃除係、おかげで足腰が鍛えられた」と恐妻家だったことを認めている。一人で散歩し、なじみのスナックに寄ると…
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坂上二郎(4)「目線はいつも下にあるほうが好きなんだ」
1974年7月の能登はうだるような暑さだった。10月からスタートのTBS系「夜明けの刑事」で初の主演の座を勝ち取った坂上二郎さんは「食いついたら死んでも離さない」スッポン(鈴木)刑事に扮していた。 …
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坂上二郎(3)「歌詞を体で覚えないと歌に感情移入できないし、振り付けの余裕も生まれない」
NHKの看板番組、大河ドラマの視聴率を破った日本テレビ「コント55号の裏番組をぶっとばせ!」が、惜しまれながら「ハレンチすぎる」「子どもに悪影響を与える」などの批判に抗しきれず1970年3月、1年間…
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坂上二郎(2)「放送コードはテレビ局が決めることで、芸人が制約を意識したら芸は生まれない」
コント55号がもっともテレビ界を驚嘆させたのは1969年4月から1年間放送された日本テレビ「コント55号の裏番組をぶっとばせ!」である。私はこの番組で、さらに二郎さんのファンになった。 番組…
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坂上二郎(1)欽ちゃんと別々の楽屋へ…「どうして稽古もしないのですか?」と尋ねると
今年はコント55号の萩本欽一さん(83)の相棒だった坂上二郎さんの生誕90年周年である。55号時代は欽ちゃんの、ちょっと意地悪な突っ込みを変幻自在に受け止める名ボケぶりを発揮、テレビ界にお笑いブーム…
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夏目雅子(6)“9.11”は夏目雅子の悲報と「三浦和義逮捕」が重なり終日大騒動に…
夏目雅子は1985年2月15日に急性骨髄性白血病で慶応病院に入院したが、8月に入ると「順調に回復」という朗報が院内で流れはじめた。気の早いマスコミは「近々退院」と報道したが、下旬から抗がん剤の副作用…
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夏目雅子(5)女優としての「出世」の裏には伊集院静氏の愛情と指導が
1982年6月公開の映画「鬼龍院花子の生涯」(監督・五社英雄)の体当たり演技で夏目雅子は一気に大輪の花を咲かせ、五社作品には同10月放送のフジテレビ系「時代劇スペシャル 丹下左膳 剣風!百万両の壺」…
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夏目雅子(4)「コーヒーを飲みながら、記者さんと会話している今は私の“素”の部分です」
長編ドラマ「西遊記」(1978~79年)の成功で人気女優の仲間入りをした夏目雅子は、ほぼ同時期にTBS系の横溝正史シリーズ「悪魔の手毬唄」で準主役。夏目の人気はさらに高まるが、バラエティー番組には「…