独白 愉快な“病人”たち
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もう歌えないかもと涙…エドアルドさん多発性硬化症と闘う
ある朝、急に右手の感覚がおかしくなりました。しびれていて、目ではコップを持っているのが見えているのに、手にはその感覚がなくて何も持っていないような変な感じでした。 初めは寝相が悪くて知らぬ間…
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目に針先が迫ってきて…播戸竜二さん翼状片の手術を振り返る
2020年11月に「翼状片」という病気で目を片方ずつ、計2回手術しました。手術時間は30分ぐらいで、入院する必要もなかったので、初めに右目を手術した日には、夜に人に会う予定を入れていました。一応、先…
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稲妻のような残像が…叶かずゆきさん語る脳動脈瘤との闘い
僕はもう50歳近いおじさんですけど、頭の中には“最新機器”が入っています。というのも、日本ではまだ保険適用されて間もなくて症例の少ない最先端の「脳動脈瘤塞栓デバイス」を使うことに協力したからです。 …
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義眼のパーカッショニスト富田安紀子さん「病気には甘えない」
「ぶどう膜炎」は、ぶどう膜とその周辺に炎症が起こる目の病気です。ぶどう膜は、光の調節をする虹彩、ピントを合わせる毛様体、栄養を運ぶ脈絡膜からなる血管の多い組織のこと。私は白内障を併発して、左目は失明し…
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水を飲み込むのも困難に…ぺえさんは急性咽頭炎で入院を経験
2019年の秋、急性咽頭炎で10日間入院しました。入院先は陸上自衛隊の三宿駐屯地。この入院を境に不規則だった生活や食の好みが激変しまして、健康的な生活になりました。 入院に至る少し前から咳や…
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脊椎側弯症と闘う手島実優さん 今も背骨に1キロの金属が…
14歳の春休みに「特発性脊椎側弯症」の手術を受けました。背中には首から腰まで真っすぐ伸びる400針の手術痕があって、背骨にはチタン製のワイヤやボルトが総重量で1キロほど打ち込まれています。 …
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起業家の岡本麻里さん 精神病棟への入院経験で学んだ考え方
出産後、私生活でさまざまな問題が重なりまして、精神的な疲労から体調を崩した末に、精神病棟に3カ月入院という経験をしました。 体調不良の始まりは頭痛でした。2016年から17年にかけて2カ月に…
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がんで舌を切除した声優の小笠原早紀さん 復帰までの道のり
2019年5月、手術で舌の左脇を長さ6センチほど切除しました。ちょうど小指1本分ぐらい失った感じです。それでも今もこうして声優のお仕事ができています。早期発見ができて本当によかったと思います。 …
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不整脈で救急搬送のせんだみつおさん 死んじゃうのかなと…
去年の11月に「心疾患で救急搬送」とネットで報じられまして、敬愛する長嶋茂雄さんや芸能界の友人から「大丈夫?」といっぱい連絡をもらいました。ありがたいです。でも、もう元気そのもの。薬も飲んでいません…
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虫垂炎のIKKANさん 医師と相談して「切らない」ことを選択
虫垂炎で入院したのは去年の6月1日でした。前日の夕方から腹痛が始まって、家にあった鎮痛剤を飲んでも効かず、気付けば熱も出始めて痛みは徐々に増しました。 初めは、前の晩に行ったニンニク料理専門…
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音楽を生業にしているのに…月光恵亮さん難聴との闘い語る
最初に症状が出たのは2008年、56歳のときです。突然、両耳がまったく聞こえなくなったんです。目の前で話している人の口が動いているだけ……。ただ、そのときは1時間ぐらいで症状が治まったので、あまり気…
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つらさが理解されない…上矢えり奈さん「内斜視」との苦闘
高校生のとき、突然「斜視」の症状が出てビックリしました。その日は、なんとなく具合が悪くて学校の保健室で少し寝ていたんです。で、起きたら視界に違和感があって、戸惑っていたら保健室の先生に「あれ? 目、…
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紙芝居師に出会って救われた…かみはるさん股関節症を語る
「前の学校にあなたと同じような歩き方の子がいてね、その子が病院で診てもらったら股関節脱臼っていう病気だったのよ」 小学4年生のとき、担任の先生にそう言われました。「一度、病院に行ってみては?」…
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「死ぬんだろうな」と思った…樋口大悟さん白血病との闘い
30歳のときに骨髄移植を受けました。移植は点滴で行われます。鮮度を保つため冷やされた液体が、鎖骨辺りに刺した針から血管を伝ってじわじわと体に広がっていくのが分かりました。あくまで個人の感覚では、新し…
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白血病と闘う能楽師の武田文志さん「医学の進歩を知った」
今から7年前の10月、36歳の誕生日に緊急入院をしました。病名は「慢性骨髄性白血病」です。 白血球の数値が19万8000マイクロリットルもありました。正常値は3000~8000、5万~6万で…
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矢方美紀さん 25歳で乳がんに「世界の見え方が変わった」
「乳がんですね」 そう告げられたのは2018年の年明けでした。年末にセルフチェックで左胸にしこりを感じて、乳がん検査を受けたときのことです。 きっかけは2017年に亡くなった小林麻央さ…
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「必ず治る病気になる」ALSと闘う恩田聖敬さんの思い
生まれ故郷である岐阜のプロサッカーチーム「FC岐阜」の代表取締役に就任したのが、2014年、35歳の時でした。 それまで、東京のアミューズメント事業会社で取締役を務めていたのですが、その会社…
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「息子が卒業するまでは」がんと闘うAV男優の沢木和也さん
がんがステージ4だと知ったときは、ショックというよりも「やられたな」と思って、まだ中学生の息子の顔を思い浮かべながら「この先のことを考えなきゃいけない」と思った。 「なんかおかしいな」と感じた…
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「手遅れではない」の言葉で…笠井信輔さん悪性リンパ腫との闘い
がんの散らばり具合をカラー画像で見られるペット検査をしたところ、いたるところが黄色く反応していて、全身にがんが散らばっていることが判明。その画像を見たとき、「これは終わりか……」と思いました。 …
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仕事ができなくなっちゃう…声優の森川智之さん喘息を語る
どう隠していこうか――。 40歳を迎え、声優として多忙を極めていたときに「喘息」と診断されてしまった僕は、周りにそれを気づかれてはいけないと思い、必死に「健康ですよ」という空気を出していまし…