語り部の経営者たち
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フィル 濱本廣一社長<2>中学でプロのミュージシャン目指す
フィルは、一般ユーザー向けに国産壁紙を取り扱う「壁紙屋本舗」と、輸入壁紙専門の「WALPA」という2つのネットストアを持ち、セルフリフォームファンを増やしてきた会社だ。 社長の濱本はもともと…
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フィル 濱本廣一社長<1>一般人に展開 “壁紙革命”仕掛け人
フィルは、一般ユーザー向けに国産壁紙を取り扱う「壁紙屋本舗」と、輸入壁紙専門の「WALPA」という2つのネットストアを持ち、壁紙だけで17億円を売り上げる成長株の会社だ。 輸入壁紙は高級品が…
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旅籠屋 甲斐真社長<7>世を変えることがベンチャーの使命
1995年に第1号店をオープンしてから24年。現在66店舗を展開し、今年もすでに3店の出店を控えている旅籠屋。日本におけるモーテルのイメージからの脱却、銀行やオーナーからの信用の獲得などいくつもの問…
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旅籠屋 甲斐真社長<6>働く支配人に性別も前科も問わない
店舗を増やしたくてもお金がない。銀行にも、土地を持つ個人や法人にも話を持ち掛けたが相手にされなかったと甲斐氏は振り返る。 「私がカリスマリーダーだったら説得もできたんでしょうけれど、自分でも心…
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旅籠屋 甲斐真社長<5>モーテル=ラブホのイメージに苦戦
アメリカでのモーテル視察から帰国すると甲斐氏はすぐに準備にとりかかった。今までの職場で大きなプロジェクトのマネジメントをしていた経験があるからコンセプトメークはお手のものだ。 問題は資金だっ…
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旅籠屋 甲斐真社長<4>一生をかけて日本にモーテルを作ろう
モーテルを視察するためにアメリカを訪れた甲斐氏は、半月にわたって泊まり歩いた。モーテルとは基本的にレストランや宴会場のない、駐車場と部屋だけの簡素な宿泊施設のこと。空港でレンタカーに乗り、郊外へと走…
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旅籠屋 甲斐真社長<3>途方に暮れて向かった米モーテル視察
10年以上勤めた会社を辞め、甲斐氏はトロン電脳都市プロジェクトの事務局で働きだした。時代の最先端を行くプロジェクトはきっとやりがいがあると信じていた。 「ところが、仕事がないんですよ。小さなオ…
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旅籠屋 甲斐真社長<2>「人生の墓場」と忌み嫌っていたが…
紆余曲折の末に大学進学を目指し、予備校に通い始めた甲斐氏。しかし、まったく勉強をしなかったと笑う。 「高校の時に友人と8ミリ映画を撮ってから映画が好きになって。予備校に行かず映画ばかり見ていま…
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旅籠屋 甲斐真社長<1>全共闘にどっぷり遣った高校生が…
郊外の幹線道路沿いに立つ自動車旅行者のための宿泊施設「モーテル」。アメリカではポピュラーなこのモーテルを日本で初めてチェーン化し、全国66カ所で展開するのが株式会社旅籠屋だ。 ベンチャー企業…
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河内源一郎商店G 山元紀子社長<3>苦情をビジネスに繋げる
焼酎メーカー向け種麹の出荷シェア8割を誇る日本一の種麹屋「河内源一郎商店グループ」。グループを率いる山元紀子は4代目だ。3代目の夫・正博から経営を任され、社長に就任したのは2001年のことだった。 …
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河内源一郎商店G 山元紀子社長<2>地ビール解禁が追い風に
河内源一郎商店グループは、全国の焼酎用種麹シェア8割を誇る日本一の種麹製造会社である。現在、社員は全体で200人。鹿児島を代表する会社だ。 現社長の山元紀子は、4代目。3代目の夫・正博と二人…
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河内源一郎商店G 山元紀子社長<1>2代目と3代目が対立し…
河内源一郎商店グループは、鹿児島の税務署を退職した河内源一郎(故人)が1932年に設立した老舗企業だ。グループには6社の会社がある。同社の種麹は、「伊佐美」「魔王」「森伊蔵」をはじめ焼酎蔵元の8割が…
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大和証券グループ本社 中田誠司社長<4>未来を見る目が必要
持ち株会社、大和証券グループ本社社長の中田誠司は、2017年4月にトップに就いた。就任以来、腐心しているのが、営業部門の抜本的な改革だ。何を変えようとしているのか。 「上からの号令で仕事の数値…
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大和証券グループ本社 中田誠司社長<3>部下40人の詳細を記憶
持ち株会社の大和証券グループ本社と事業会社の大和証券、両社の社長を兼務する中田誠司。 中田が初めて部店長職に就いたのは2002年、事業法人営業部長の時だった。40人からの部下を持った中田は、…
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大和証券グループ本社中田誠司社長<2>“攻めの営業”が良かった
大和証券グループ本社は、大和証券や大和ネクスト銀行などを傘下に置く持ち株会社だ。社長の中田誠司は1983年に大和証券に入社し、翌84年から5年間、日比谷支店に勤務した。 支店時代は個人投資家…
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大和証券グループ本社中田誠司社長<1>日課以外の仕事を
大和証券グループ本社は、大和証券や大和ネクスト銀行などを傘下に置く持ち株会社。中田誠司は2017年4月に社長に就任した。 社長交代会見の際、「親がサラリーマンではなかったこともあって出世には…
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麺食 中原誠社長<4>外国人社員の活躍で国内100店舗目指す
アメリカ進出の原動力となったのは、意外なことに初めは反対していた父だった。会長職になってから、どこか手持ち無沙汰になっているのを息子は見逃さなかった。 「アメリカでもう1回、坂内の味を作ってほ…
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麺食 中原誠社長<3>大震災を機にこじれた父子間が雪解け
起業をあきらめて入社したものの、父・明氏とは頻繁に衝突した。まず、男性中心の客層を変えていこうと、デザイン面の刷新を試みた。 「父は店のデザインに思い入れが強かったので、『おまえは、わかってな…
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麺食 中原誠社長<2>妻と仲間失った窮地の父のため後継者に
自らの発明で起業する道を諦めた誠氏は、自分のルーツである食で事業を起こしたいと思うようになった。 「父とは関係なくやるつもりでしたが、食という部分で無意識に父の影響を受けていたと思います。卒業…
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麺食 中原誠社長<1>年商2倍にしても家業継ぐ気はなかった
透き通ったしょうゆ味の豚骨スープとちぢれ麺の上に、チャーシューを何枚も浮かべた「喜多方ラーメン」は、札幌みそ、博多とんこつとともに日本3大ラーメンのひとつに数えられる。「喜多方ラーメン坂内」を運営す…