語り部の経営者たち
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日本理化学工業・大山隆久社長<2>広告業界から父の一言で
祖父が創業者、父が3代目社長という家庭環境にあったが、大山自身は、「後を継ぐように」と言われたこともなく、のびのびと育った。 大学卒業とともに、広告制作会社に入社、営業を担当した。 …
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日本理化学工業・大山隆久社長<1>全社員の7割が知的障害者
パワハラ、激務の果ての使い捨てなどといったブラック企業が横行する昨今だが、その対極とも言える会社がある。 日本理化学工業は「日本一強く、優しい会社を目指す。人と環境に優しい商品を作り続ける」…
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窪田製薬HD・窪田良社長<4>オール・オア・ナッシングです
創薬ベンチャー「窪田製薬ホールディングス」の創業社長、窪田良はもともと慶大医学部を卒業した優秀な眼科医である。2年前の5月まで、加齢黄斑変性の特効薬として期待されたエミクススタト塩酸塩にすべてをかけ…
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窪田製薬HD・窪田良社長<3>新薬の期待で株価10倍になるが
窪田製薬ホールディングスは、マザーズに上場している創薬ベンチャー。前身であるアキュセラのCEOの座を追われた窪田良は、株主たちとタッグを組むことで、CEOに返り咲いた。 加齢黄斑変性の特効薬…
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窪田製薬HD・窪田良社長<2>上場後、突然CEOの座を追われる
窪田製薬ホールディングスは、東証マザーズに上場している創薬ベンチャーである。創業社長の窪田良は、もともと優秀な眼科医。小さい頃から目が好きだったという。人間の目だけでなく、カエルの目やイヌの目にも興…
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窪田製薬HD・窪田良社長<1>驚きの「売上高ゼロ」上場企業
窪田製薬ホールディングスは東証マザーズに上場する創薬ベンチャーだが、なんと、その売上高はゼロである。 「日本企業として日本の市場に上場する企業としては他に例はない」と語るのは、創業者で社長の窪…
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Spectee村上建治郎CEO<4>SNSの“小さな声”はAIしか整理できない
メディアの報道と、現地情報がまるで違うことがあった。東日本大震災直後のGW期間中、テレビでは「ボランティアは足りている」かのように報じていた。確かに、テレビで放送された宮城・石巻市のボランティアセン…
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Spectee村上建治郎CEO<3>3.11が転機に…自分でやらなきゃ
2001年12月に米ネバダ大を卒業し、翌年4月にソニーの子会社「エー・アイ・アイ」に入社。インターネットの可能性に目をつけていたソニーの出井伸之会長(当時)が、ハードウエアとコンテンツの融合をうたっ…
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Spectee村上建治郎CEO<2>野茂メジャーデビューで渡米決意
1995年1月17日、阪神・淡路大震災が起きた時、村上は関西の私立大1年生だった。 「神戸市の本山第三小学校の校庭にテントを張って、そこで3、4カ月ほどずっと、ボランティア活動をやっていました…
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Spectee・村上建治郎CEO<1>SNS情報をAIで収集し報道に配信
例えば、都内某所で火災が発生したとする。それをいち早く“報じる”のは、今や新聞でもテレビでもない。ツイッターやインスタグラムといったSNSだ。 たまたま現場に居合わせた誰かが「火事が起きてい…
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日特エンジニアリング・近藤進茂社長<4>製品進化も要素技術は変わらず
1980年代、日特エンジニアリングはブラウン管に不可欠な偏向ヨーク(画像を映し出すための一翼を担う偏向用コイル)で、技術的な後れを取っていた。テレビ隆盛の時代に偏向ヨークの市場に食い込まなければ会社…
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日特エンジニアリング・近藤進茂社長<3>営業とは格闘技だ
大学卒業とともに、レジスター製造会社に入社する。営業マンとして意欲的に仕事に取り組むと、たちまちトップセールスを成し遂げ、27歳で営業所長に抜擢される。部下は全員、年上だった。 取引先からス…
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日特エンジニアリング・近藤進茂社長<2>大学で身につけたたくましさ
8人きょうだいの末っ子として、門司市(現・北九州市)に生まれる。生後半年のとき、父が他界。母は商売をしながら、女手ひとつで子供たちを育てた。 明治生まれの気骨のある女性で、父親代わりを担って…
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日特エンジニアリング・近藤進茂社長<1>コイル巻線機のトップ
日特エンジニアリングは、コイルを製造する巻線機で世界シェア約36%を占めるトップメーカーだ。 電子回路やモーターなどの基本となるコイルは、車や家電、パソコン、スピーカー、マイク、医療機器のカ…
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メーカーズシャツ鎌倉・貞末良雄会長<4>サービスは平等に
高品質なシャツを手頃な価格で提供する「メーカーズシャツ鎌倉」。大きな転機となったのは2002年と12年だった。前者は日本の玄関ともいうべき丸ビルへの出店、後者は世界の玄関であるニューヨークへの出店で…
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メーカーズシャツ鎌倉・貞末良雄会長<3>リピーターの作り方
人気ブランド「鎌倉シャツ」を手がける「メーカーズシャツ鎌倉」が創業されたのは1993年11月。創業者の貞末良雄は、すでに53歳となっていた。 アイビールックで一世を風靡した「VANヂャケット…
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メーカーズシャツ鎌倉・貞末良雄会長<2>VANがまさかの倒産
人気の「鎌倉シャツ」の愛称で知られる「メーカーズシャツ鎌倉」の創業者で会長の貞末良雄は、新卒で入社した和光電気を2年で辞め、アパレル業界の「VANヂャケット」に転職。配属先は花形の営業部だった。とこ…
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メーカーズシャツ鎌倉・貞末良雄会長<1>VANに中途入社する
「鎌倉シャツ」と聞けば、おしゃれな人なら大抵の方が知っているだろう。百貨店で買えば1万円以上はする高品質なシャツが、税別4900円というお値打ち価格で販売され、世間をアッと言わせた。上質な綿100%、…
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オマツリジャパン・加藤優子社長<4>フラット組織で事業拡大
オマツリジャパンはこの5月から加藤社長ら取締役3人を含め、ようやくフルタイム社員5人体制となった。 小所帯ながら、お祭りのコンサルティングやツアー開催で存在感を示せることには、約300人が登…
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オマツリジャパン・加藤優子社長<3>来場者が3年間で10倍増
日本各地の「お祭り」盛り上げをビジネスにするベンチャー、オマツリジャパン。加藤氏は2014年7月、勤めていた漬物メーカーを退職した。 お祭りを手伝っていた横浜の商店街から、「まとまった額の補…