語り部の経営者たち
-
コールマンジャパン中里豊社長<4> 一念発起してMBA留学
「いろいろなことができる会社、海外に行けるチャンスがあるところ」と丸紅に就職したものの、待っていたのは意外と地味な世界だった。 「商社には勝手に派手なイメージを抱いて入社しましたが、実際は予算管…
-
コールマンジャパン中里豊社長<3> 横国大ヨット部に入部
転勤の多いサラリーマンの家庭で育った、コールマン ジャパンの中里豊社長は、大阪の小学校、愛知の小学校と転校し、そして小学生生活の後半と中学時代は東京で過ごした。そして高校時代を米国で暮らすことになる…
-
コールマンジャパン中里豊社長<2> 渡米して受けた衝撃
東京学芸大学付属大泉小で中里が打ち込んだのはサッカーだ。 「小学校5年の時の部活でサッカー部に入って、そのままサッカー漬けになりました。中学校もそのまま学芸大学付属大泉中学校に進みましたが、そ…
-
コールマンジャパン中里豊社長<1>転校繰り返した子供時代
米国発祥のキャンプ用品の老舗ブランド「コールマン」。日本法人のコールマン ジャパンは昨年、創立40周年を迎えた。すっかり日本のキャンプ市場でもリーディングブランドとして定着している。 このコ…
-
花まる学習会 高濱正伸代表<4> 家庭の中心は母親と認める
花まる学習会の高濱氏が授業やサマースクールと並んで力を注ぐのが、保護者を対象とした講演会だ。年間100回以上「母親だからできること」「算数脳の育て方」などのテーマで保護者たちに語りかける。今回は日刊…
-
花まる学習会 高濱正伸代表<3>90分ノンストップ授業の中身
東大を3浪4留し、29歳でようやく卒業した。その後は大学院に進み、予備校講師も続けていたが、「定職に就いていないことが原因で、大きな失恋をした。それもあっていよいよ就職活動を始めました」。 …
-
花まる学習会 高濱正伸代表<2> 栗林中将の忘れ形見の一言
「メシが食える大人に育てる」という、一風変わった学習塾を展開する花まる学習会代表の高濱氏。3浪となって「次の受験の頃には20歳。さすがにまずい」と単身上京して勉強に打ち込み、どうにか東大理科2類に合格…
-
花まる学習会 高濱正伸代表<1> メシが食える大人に育てる
子どもを「メシが食える大人」に育てることを標榜し、サマースクールなどの野外体験も開催する「花まる学習会」。1993年に始まった学習会の噂は口コミで広まり、母親たちが教室探しや会員集めを手伝うなどして…
-
四万十ドラマ畦地履正社長<4> 手がけた道の駅には大勢の人
高知県の四万十町に「四万十ドラマ」という地域おこしの会社がある。代表の畦地履正は、数々の地域特産品の開発者として各地に呼ばれ講演をしている。 2007年から同社は道の駅の企画および運営管理を…
-
四万十ドラマ畦地履正社長<3> 箱物ではなく考え方を作る
畦地履正は高知県にある地域おこしの会社「四万十ドラマ」の社長だ。彼は自社について、「地域商社」という言葉で説明している。 「地域の人たちと一緒になって商品開発をし、できた商品を流通に流す、ある…
-
四万十ドラマ畦地履正社長<2> 最初の商品は売上げ2億円超
畦地履正は最後の清流、四万十川流域で地域おこしの会社「四万十ドラマ」の社長をやっている。特産の農産物をそのまま流通に乗せるだけではなく、新しい商品に仕立て直すのが彼の仕事だ。会社の本拠地、商品の加工…
-
四万十ドラマ畦地履正社長<1> 地域商社と呼ばれています
畦地履正は高知県にある「四万十ドラマ」という会社の代表取締役だ。同社は県下西部の町、四万十町にあり、地域の振興、商品開発をやっている。従業員は30人、売り上げは7億円。 東京だったら、中小企…
-
松屋 秋田正紀社長<8> GINZAスペシャリティストアとして
松屋では2010年ごろから、ラグジュアリーブランドをさらに強化して2階に集結させようという計画をスタートさせた。 その中でも、秋田社長が特に力を注いだのが、英国の女王エリザベス2世が戴冠式の…
-
松屋 秋田正紀社長<7>大震災や爆買いをブーム乗り越えて
2001年のグランドリニューアル以後、当面は順調だったものの、そこにやってきたのが、08年のリーマン・ショックだった。売り上げの1割が、突然消えたかのようになくなった。 その状況を脱して、数…
-
松屋 秋田正紀社長<6> 女性の能力を生かす工夫を
秋田社長が松屋に入社したとき、女性があまり大切にされていないという印象を持った。 「最初に思ったのは、飲み会のときですね。これは、女性に限ったことではないのですが、マネジャーが女子社員や若い社…
-
松屋 秋田正紀社長<5> 01年大改装が高級路線の第一歩に
紳士服売り場改装の翌年、隣接していた東京三菱銀行(現・三菱東京UFJ銀行)銀座通支店跡地を松屋が譲り受けることとなり、増床を機に大リニューアルをすることが決まった。 秋田氏はその責任者に指名…
-
松屋 秋田正紀社長<4> いきなり婦人服売り場に立たされて
松屋入社後の2年間は、当時提携関係にあった伊勢丹での武者修行から始まった。 初めに配属されたのは、ミセス向け婦人服売り場だった。 「いきなり婦人ファッションなんか分からないわけですよ。…
-
松屋 秋田正紀社長<3> 青天の霹靂だった義兄からの誘い
阪急電鉄の人事担当者として、将来を担う人材の採用業務にはやりがいを感じていた。 「人事担当者というのは、学生さんにとっては会社の顔ともいえる部分があるので、担当者を信用できれば、会社を信用でき…
-
松屋 秋田正紀社長<2>幹部候補生として大切に育てられた阪急電鉄時代
1983年、東大経済学部を卒業後、阪急電鉄に入社する。秋田社長を含む十数人の大卒社員は、幹部候補生として大切に育てられた。1年間をかけて車掌や運転士の研修を受けた後、電車運転士の国家資格を取得する。…
-
松屋 秋田正紀社長<1> 銀座の価値にふさわしい百貨店を
かつては庶民の憧れの場所だった百貨店が冬の時代を迎えている。 三越と伊勢丹、大丸と松坂屋、西武とそごうなど大手百貨店の再編統合が相次いだ。しかし、その効果が出ているとは言い難く、そごう柏店、…