五木寛之 流されゆく日々
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連載11177回 コロナの日々は続く <3>
(昨日のつづき) 昨年、コロナが蔓延しはじめた頃に、突然、私の生活のリズムが一変したことは前に書いた。 半世紀以上も続いた夜型の生活パターンが、突如として朝型に激変したのである。 夜、12…
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連載11176回 コロナの日々は続く <2>
(昨日のつづき) 「不要不急」という言葉が、頭の上に厄介なカサのようにのしかかっていて離れない。 考えてみると私たち小説家の仕事は、まさに不要不急のしろものである。 しかし、これが逆に「有要…
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連載11175回 コロナの日々は続く <1>
ステイホームと強制されなくても、もともとステイホームの居職だった。それが不要不急の外出さえも制限されて、ほとんど引きこもり状態の生活が続いている。 最初の予想では、まあ1年ぐらいは我慢するか、と…
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連載11174回 デジタル難民の繰り言 <5>
(昨日のつづき) 私はもともと数字に弱いほうで、中学、高校を通して数学が苦手だった。なぜか幾何だけが成績がよかったのは、理屈を駆使する分野だったからだろう。 「これは大事な数字だ。しっかり憶えて…
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連載11173回 デジタル難民の繰り言 <4>
(昨日のつづき) デジタル化は世界の趨勢である。それを批判したり、嘆いたりしたところで仕方がない。世の中は勢いで動くものだ。デジタル化は時代の勢いである。 土石流のようなデジタル化の流れのなか…
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連載11172回 デジタル難民の繰り言 <3>
(昨日のつづき) さまざまな学問のなかで、未来予測がもっとも正確なのは人口論だそうだ。『日本沈没』のような大異変がない限り、この国の未来図も人口論の予測をはみだすことはない。 少子・高齢化が、…
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連載11171回 デジタル難民の繰り言 <2>
(昨日のつづき) 私の原稿は今でも手書きである。最近の編集者にとっては、面倒な書き手だろう。生原稿はとかく字が読みにくい。達筆は達筆なりに判読しづらいところがある。 FAXの文字がかすれること…
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連載11170回 デジタル難民の繰り言 <1>
最近、古い言葉が一般に通用しなくなってきた。 国文学者の故・小島憲之がその著書のなかで、「今夕」という言葉が通じなくなったことをひどく嘆いておられたことを思い出す。 「今夕」というのは、きょう…
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連載11169回 パンデミックの記憶 <5>
(昨日のつづき) スペイン風邪といわれる悪性インフルエンザが発生したのは、1918年あたりからである。パンデミック(世界的大流行)としては人類史上最大ともいわれる死亡者を出した。 わが国でも3…
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連載11168回 パンデミックの記憶 <4>
(昨日のつづき) 仁川から博多港へやっと着いて、やれやれと思ったところで、厄介なことになってしまった。 リバティ船が港外に停泊したまま、いっこうに上陸が始まらないのである。船内には不穏な空気が…
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連載11167回 パンデミックの記憶 <3>
(昨日のつづき) 38度線近くの難民キャンプに、かなり長いあいだ留め置かれたのは、当時韓国で大規模な鉄道ストが発生したかららしい。 くわしい事はわからないが、かなり長い間、その米軍のテント村に…
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連載11166回 パンデミックの記憶 <2>
(昨日のつづき) 若い人に蚤という字を書いて見せて、 「これ、なんと読むかわかるかい」 「うーん、どこかで見たような気がするんですが、虫がはいってる字ですから、動物ですよね」 「じゃあ、これ…
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連載11165回 パンデミックの記憶 <1>
英国種からインド種へと、変種ウイルスの蔓延が注目されている。メディアで話題になるときは、すでに問題が顕在化したときだから、実際にはかなり拡散していると見たほうがいい。 インド種をデルタ型と呼ぶの…
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連載11164回 トイレに関する考察 <5>
(昨日のつづき) 敗戦後、平壌から脱出し、徒歩で38度線をこえて米軍のテント村にたどり着いた話は何度か書いた。 しかし、その脱北行についてこれまで述べたことは、当たりさわりのない無難な話ばかり…
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連載11163回 トイレに関する考察 <4>
(昨日のつづき) むかし仲間が集って馬鹿噺をしていたとき、一人の友達が、 「このなかで子供のときに寝小便したことがある奴いるかい」 と言いだした。 「ある」 「おれもあるね」 「寝小便…
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連載11162回 トイレに関する考察 <3>
(昨日のつづき) 今朝(6・22)の産経新聞に平川祐弘氏の『はばかられる男女差別の論調』という文章が掲載されていた。「正論」という欄である。 そのなかで、男性トイレと女性トイレについて触れてあ…
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連載11161回 トイレに関する考察 <2>
(昨日のつづき) 昔はほとんどの家に、トイレは大と小とが区別して設けられていた。小のほうは男性専用で、朝顔と称した。 大のほうはしゃがんでする和風トイレだった。最近はかなり贅沢なマンションでも…
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連載11160回 トイレに関する考察 <1>
国際的なタオイズム(道教)の権威であった故・福永光司さんに、こんな話をうかがったことがあった。 「イツキさん、<倭>という言葉でどんなことをイメージしますか」 「<倭人>の<倭>ですね。『漢書』…
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連載11159回 ニューノーマルの時代 <5>
(昨日のつづき) 捨てるより集めることが美徳だった時代がしばらく続いて、やがて世の中はモノにあふれ返る時代に変りました。 シンプルライフへの憧れが生まれ、集めるよりも捨てることに人びとの関心が…
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連載11158回 ニューノーマルの時代 <4>
(昨日のつづき) 中世、鎌倉新仏教と呼ばれるニューノーマル思想のなかで、法然を源流とする浄土教の立場は「捨てる」ことを出発点としました。 法然その人は比叡山で「智慧第一の法然房」と謳われた大知…