五木寛之 流されゆく日々
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連載10778回 金のかからぬ養生法 <3>
(昨日のつづき) 養生法と健康法はちがう。 健康法を説く人は、本人がまず健康でなくてはならない。病人が健康法を語ったとしても、誰も耳を傾けないだろう。 養生とは、弱い体をなんとか維持するた…
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連載10777回 金のかからぬ養生法 <2>
(昨日のつづき) 深い呼吸をすることが大事だ、とわかっていても、なかなか人は実行しないものだ。 努力をする、ということはむずかしい。世の中には努力家というタイプの人がいる。生まれつき努力が好き…
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連載10776回 金のかからぬ養生法 <1>
物心ついたときから、常識に逆らうようなことばかりやってきた。 小学生の頃、「心頭を滅却すれば火もまた涼し」という文句に出会った。なるほど、と思って、ローソクの灯に指をかざして火傷をしたことがある…
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連載10775回 秋の金沢日帰りの記 <5>
(昨日のつづき) 深夜、金沢駅で買ってきた鱒寿司を食べる。そもそも富山の名産なのに、金沢を訪れた観光客に大人気なのがこの鱒寿司だ。 昔に変らぬ味、というのが取り柄だろう。横川の釜飯弁当とこの鱒…
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連載10774回 秋の金沢日帰りの記 <4>
(昨日のつづき) 泉鏡花賞の授賞式での山田詠美さんのスピーチの続きである。 <不安に選ばれる優越感などというと、とても矛盾しているように思われるでしょうが、小説を書くというのは、常にその感…
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連載10773回 秋の金沢日帰りの記 <3>
(昨日のつづき) 泉鏡花賞の授賞式での山田詠美さんのスピーチの続きである。 〈そして、次第に不安自体がひとり歩きをして主人公を引っ張りコントロールするようになって行く。つまり、そうなると、今…
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連載10772回 秋の金沢日帰りの記 <2>
(昨日のつづき) 山田詠美さんは平成8年第24回の鏡花賞の受賞者である。今回の田中慎弥さんが47回の受賞だが、その時からすでに二十数年がたっているのだ。 その時の受賞作品が『アニマル・ロジック…
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連載10771回 秋の金沢日帰りの記 <1>
金沢へいってきた。日帰りトンボ返りの旅である。いや、こういうのは旅とは言えないだろう。まあ、移動という感じだろうか。 今回は例の鏡花賞の授賞式で、短い挨拶をするためにいったのだ。 泉鏡花賞も…
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連載10770回 人は自慢する動物である <4>
(昨日のつづき) 先月から今月にかけて、いくつもの対談をした。 佐高信さんとの対談のあとに、横田南嶺師との対談があった。 後で反省したのだが、やはりお二人との対談の中でも結構、私の発言には…
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連載10769回 人は自慢する動物である <3>
(昨日のつづき) 自慢、というのは一体なんだろう。なぜ人は自慢するのか。自慢するつもりがないのに、自分の事を語ると、いつしか自慢になってしまうのはなぜか。 いや、はたしてそれを自慢と言うべきな…
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連載10768回 人は自慢する動物である <2>
(昨日のつづき) 自慢にもいろんな種類がある。 単純に自慢バカという種族がいる。やたらと大声で自慢話をくりひろげるタイプだ。家柄や学歴や収入を自慢するのが定番である。 こういう相手は面倒で…
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連載10767回 人は自慢する動物である <1>
「自分について語ることは、すべて自慢話である」 というのは、阿刀田高さんの名言である。 ふり返ってみると、自分のことを書いた文章は、どこかに人に認めてもらいたい気持ちがひそんでいるようだ。他人…
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連載10766回 北の都に秋たけて <5>
(昨日のつづき) 以前、『ステッセルのピアノ』という書き下し長篇を執筆したとき、旭川を中心に北海道を歩いたことがあった。 日露戦争のあと、日本に送られた戦利品のなかに一台のピアノがある。それが…
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連載10765回 北の都に秋たけて <4>
(昨日のつづき) 歌謡曲の歌詞は、ほとんどが北方志向である。 『北帰行』から『津軽海峡冬景色』から、『旅の終りに』まで、ほとんどがそうだ。例外をさがせば藤圭子の『京都から博多まで』が逆に南へ流れ…
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連載10764回 北の都に秋たけて <3>
(昨日のつづき) 昨日は鎌倉の横田南嶺老師と対談をさせて頂いた。横田師は臨済宗円覚寺派の管長で花園大学の総長でいらっしゃる。月刊『致知』に連載されている「禅語に学ぶ」を愛読している私としては、絶好…
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連載10763回 北の都に秋たけて <2>
(昨日のつづき) 私がこれまで縁のなかったウレシパクラブの催しに参加することになったのは、クラブの活動を支えてこられた本田優子先生からの一通の手紙だった。メールやファックスの依頼状とはちがって、ク…
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連載10762回 北の都の秋たけて <1>
〽北の都に 秋たけて というのは、旧制四高の寮歌の一節である。「秋たけて」の「たける」というのは「闌ける」と書く。 「闌ける」というのは季節が深まるという意味だろう。 この歌でいう「北…
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連載10761回 半世紀前の水害の記録 <8>
(昨日のつづき) 1年たっても復旧の歩みは進まない。いま台風19号の被害に追い討ちをかけるように、豪雨と新たな台風が次々と接近しつつある。 この問題について新聞・テレビその他のメディアは、ほと…
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連載10760回 半世紀前の水害の記録 <7>
(昨日のつづき) さて、このあたりからが伊那谷水害の背後の本質があらわになってくる。50年前のルポルタージュの続きである。 《さて、この騒ぎがきっかけとなって、世論も、ようやくダムと水害問…
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連載10759回 半世紀前の水害の記録 <6>
(前回のつづき) ここで出てくるのがダムである。建設されたダムによって、河川の川床が年々上がってくる。それがくり返される氾濫の元凶だ、というわけだ。 いまから五十数年前に、私が一介のルポライタ…