喜怒哀楽のサラリーマン時代
-
田口光久さん<4>日本代表合宿中は日当だけで1カ月18万円
J1ヴィッセル神戸に移籍したイニエスタは年俸32億5000万円の3年契約とされる。世界的スーパースターは別格として、ガンバ大阪の遠藤保仁(38)をはじめ1億円を超える日本人Jリーガーもズラリ。プロ化…
-
田口光久さん<3>国際親善試合は三菱仕事獲得の営業活動
三菱重工サッカー部に入団した前年の1972年、日中関係は転換点を迎えていた。9月29日、北京を訪れていた首相の田中角栄と外相の大平正芳は、周恩来とともに日中共同声明に署名。国交が正常化した。 …
-
田口光久さん<2>4階の資金課で出会った女性社員は?
サッカーの練習は午後にあるため毎日、東京・田町のオフィスに出社した。ゴーン・ショックに揺れる三菱自動車本社があるビルだ。三菱自動車は1970年に三菱重工の自動車部門が独立して発足。田口さんが入社した…
-
田口光久さん<1>三菱入は“大人の事情”で決まっていたんだ
サッカー日本代表の森保ジャパンが好調だ。キリンチャレンジカップを4勝1分けの負けなしで終え、来年1月のアジアカップに向けて好スタートを決めている。 今回登場のこの人は、1975年に代表入り。…
-
キートン山田さん<4>ビルのゴミ集めは1週間でギブアップ
劇団での活動が本格的になっていくと、会社との両立が難しくなっていった。発表会があれば仕事を休まなければならない。最初は先輩がシフトを調整してくれたりしていたが、周囲の目も気になるようになり、岐路に立…
-
キートン山田さん<3>女性がいるバーで飲むのは苦手だった
現場の職人さんたちはちょっとおっかなかったが、会社の人間関係は良好だった。工場にいるときは、昼休みが始まる30分前の11時半には食堂に行って昼食を済ませ、12時から1時まで目いっぱい、近くの河原で野…
-
キートン山田さん<2>給料1万8000円 贅沢せず十分暮らせた
配属先の川口工場での仕事は楽しかった。4畳半の一間に下宿し、15分かけて自転車で通勤。満員電車の苦痛からも解放された。 「コンクリートって、ものすごく種類があるんです。道路は道路、橋は橋、ビル…
-
キートン山田さん<1>初めてのバーで50円のハイボールを…
国民的アニメ「ちびまる子ちゃん」の軽妙なナレーションで日曜夜のお茶の間をほっこりさせるキートンさんは、就職のために北海道から上京し、コンクリート会社で3年10カ月間働いた。東京五輪が開催される196…
-
古新舜さん<5>二者択一で迷ったら両方選ぶのも可能なのだ
予備校で教壇に立つ中でずっと考え続けてきたのが、教育ではもっと心を扱っていかなければダメだということでした。学歴や偏差値など目に見えて分かるもので人を評価するのではなく、誰かのために何かをする力や人…
-
古新舜さん<4>「私が」という主語がないと幸せになれない
教育全体を良くしたいという思いで、10年間の予備校講師生活の後半から私の授業では、アクティブラーニングを取り入れるようになりました。たとえば、YouTubeの画像を見ながら、「そこに映るいろいろな現…
-
古新舜さん<3>“代打”授業の評判が良くて首がつながった
憧れの駿台予備校講師になったものの、同時に映画の世界に足を踏み入れてしまったため、新卒1年目からほとんど寝る間もない日々が続きました。10年間は責任を持って取り組もうと思いながらも、教壇に立ちながら…
-
古新舜さん<2>昼は予備校講師、夜は映画製作…でやらかし
大学1年生の引きこもり生活から抜け出せたのは、インターネットでチャット仲間と出会えたのがきっかけでした。 死ぬことばかり考えて、ネットで自殺方法を検索していたときに、たまたまチャットを見つけ…
-
古新舜さん<1>大学で物理を選んだのは成績が悪かったから
10月30日、第31回東京国際映画祭の特別招待作品として、哀川翔の娘・福地桃子主演の「あまのがわ」が上映された。古新さんが原作・脚本も手がけており、「表現したいと思ってきたものは、これでいったんすべ…
-
永井紗耶子さん<5>理不尽に怒る新聞社の担当を鎮めた方法
フリーのライターとして企業を取材したことで作家の道が開けたが、順風満帆だったわけではない。当時はまだ、フリーランスを理解せず“下請け”のように扱う人もいた。 「ある新聞社の担当者には、出した記…
-
永井紗耶子さん<4>老舗企業の取材が小説のきっかけに
2008年のリーマン・ショックの直後に、東京・日本橋の老舗企業のトップ3人の鼎談を取材した。 「にんべんの高津克幸さん、国分グループ本社の國分晃さん、西川産業の西川八一行さん。みなさん、いずれ…
-
永井紗耶子さん<3>IT社長の座談会当日「ライブドア事件」
産経新聞を退職後は、地元の横浜に戻ってフリーライターとして活動を始めながら、歴史を学べる佛教大学大学院に入学した。時代小説を書くためだった。 「高校はクリスチャンの学校だったので、仏教文化と歴…
-
永井紗耶子さん<2>入社3カ月後…自律神経失調症で手が震え
大学を出るまで横浜で育った永井さんが、産経新聞の研修で初めて訪れたのが、大阪のあいりん地区だった。その後、配属されたのは兵庫県の西宮支局。多忙な毎日とカルチャーショックで入社3カ月余りで体は悲鳴を上…
-
永井紗耶子さん<1>産経新聞の研修でカルチャーショックを
「将来の夢は作家」と小学校の卒業文集に記し、一途に目指してきた永井さん。慶応大学文学部を卒業後、産経新聞記者を経てフリーライターになった永井さんは、2010年に作家デビュー。先般、「大奥づとめ」(新潮…
-
川又幸彦さん<5>「バブルの借金の清算に20年かかった」
川又さんは最盛期、総資産3000億円を誇ったが、2010年に個人では830億円、法人として790億円の負債を抱え自己破産した。あと半年で平成という時代は終わる。川又さんにとって平成とは何だったのか。…
-
川又幸彦さん<4> 「ツカサ」の名前の由来は焼酎だった
ウイークリーマンションのツカサといえば、ある程度の年齢の方であれば覚えていらっしゃるかと思います。 では、なぜツカサなのかというと、社名の司建物管理が由来なのですが、ここにひとつおもしろいエ…