野田義治「新・巨乳バカ一代」
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朝丘雪路ご本人は自分の巨乳ぶりをなんとも言ってなかった
「雪会さん(朝丘雪路の本名)はものすごいプロフェッショナルなんです」 夏木マリ・いしだあゆみといった芸能界の大物スターたちのマネジャーを務めてきたわれらが野田義治。 いしだあゆみが萩…
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津川雅彦「朝丘雪路のマネジャーやってくれよ」と言われ…
「ご本人も結婚を機にこの業界少し休むっておっしゃってたから、僕も披露宴パーティーの2次会で言ったんです。やめさせてくれって。ちょうどいい機会だし」 芸事に厳しい、いしだあゆみのもとでマネジャー…
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野田はいしだあゆみのマネジャーを歴代最長の7年間務めた
「マネジャー連中がしばらく現場で経験を積んでくると、上(副調整室)まで入れたわけですよ。それこそカメラワークまで文句つけてましたね。“それは違うだろ”って」 野田義治が証言する。 70…
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TV局のプロデューサーを殴るチーフマネジャーもゴロゴロ
「(マネジャーを)人間扱いしてないようなタレント、俳優もいます。いまだにいますけど。これ、(和田)アッコさんにも中尾ミエさんにも言われたことなんですけど……」 野田義治がいしだあゆみのマネジャ…
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人気絶頂のいしだあゆみが「ギリギリのところで戦ってる」
「こっちも血の気が多いから、送っていくタクシーの中で大ゲンカしたこともありました」 1973年からいしだあゆみのマネジャーをしていた野田義治が回想する。 当時、芸能界では、いしだあゆみ…
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過酷な現場で「ぶん殴られたこと? しょっちゅうですよ」
「当時、(いしだ)あゆみさんと由紀さおりさん、それから小川知子さん、しばらくしてから小川知子さんが抜けて和田アキ子さん。この4人のマネジャーがつとまったら芸能界で天下取れるっていわれてました」 …
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和田アキ子がレコード大賞授賞式で渡された葬儀用の白菊
最近、ネットを騒がせたあるテレビ番組があった。 TBS系「中居正広の金曜日のスマイルたちへ」(金スマ)のなかで、ゲストの和田アキ子が、1972年にリリースした「あの鐘を鳴らすのはあなた」(作…
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「賞レース」の闇 どんな世界にもフィクサーが存在する
「それを仕切ってた人もいるんですよ。テレビ局関係者が直接プロダクションからお金もらうってことは絶対なかったですから」 1970年代半ば、テレビも歌謡番組がいまよりはるかに多く、その年の歌謡曲ナ…
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若造だからとナメられてはいけないと口ヒゲをはやしてみた
1973年、野田義治が夏木マリの現場マネジャーから次に移ったのは、いしだあゆみの付き人だった。 当時はテレビ局も歌謡番組全盛期であり、歌手は番組をいくつも掛け持ちしていた。 人気歌手…
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いしだあゆみのマネージャーだった野田に「なんか歌え!」
「僕が持って歩いてるのは楽譜だけでしたから」 1973年、いしだあゆみのマネジャーに採用された野田義治は、マネジャーとは名ばかり、付き人のさらに補助のような立場だった。 いしだあゆみの…
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いしだあゆみのMGになるも1年以上、口を聞いてもらえず…
荷物すら持たせてもらえなかった野田義治は、マネジャーでもなく、マネジャーを補助するいわゆる“付き人”であった。所属事務所は、サンズエンタテインメント。以前所属していた上条企画が芸能界最大のプロダクシ…
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夏木マリがかけてくれた言葉に仕事を続けてよかったと実感
「タレントや俳優って、もうひとつ名前があるんだ。無理偏にゲンコツと書く」 野田義治と一緒に仕事をするベテラン上司がぽつりと言った。 野田にとって初めて聞く不思議な言葉だった。“無理偏”…
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キャバレー営業は1日400万円の収入も厄介な酔客も多かった
「キャバレー回りの営業って、ギャラはいいんですよね。テレビの10倍くらいもらえたわけですよ。30分2回ステージやって、ちょっと売れた女性歌手だと当時の金で100万円もらえたし」 野田義治が19…
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再デビューした夏木マリを悩ませた“キャバレー回り”の苦労
「当時キャバレーが売れっ子歌手の一番のビジネス、銭儲けになったところですからね。いまでもそうですけど、テレビは宣伝、お金儲けするのは昼間の興行。なんとかショーっていうようなところにいかれるのがスジだっ…
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1973年夏 野田は夏木マリの営業担当マネジャーになった
「いま売り出し中の女性歌手がいるんだ。一緒に仕事してみないか」 1973年夏、野田義治に声がかかった。 歌舞伎町ディスコ「サンダーバード」支配人として、ステージに登場するミュージシャン…
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故ジャニー喜多川氏を“ジャニ公”と呼んだ伝説のスカウト
野田義治をショービジネスの世界に招き入れた上條英男も熱かった。 女性ハーフタレントが男との交際でもめだすと、上條本人が2人の前に出て、近くにあったハサミで自分の左胸を突き刺した。シャツが鮮血…
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昼夜を問わず働き続けた野田は現場でも注目されるように
「あんなに熱い人はいないです」 野田義治が伝説のスカウトマン上條英男について語る。 ジョー山中、小山ルミ、ゴールデン・ハーフ、カルメン・マキ、三東ルシア……。 さらに西城秀樹、…
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乗っていた外車が青山通りで大回転!九死に一生を得る
「70年代頭、青山は何もなかったですよね。道路の真ん中を都電が走っている時代ですよ。今ではしゃれたファッションの街になったけど」 野田義治が雨の日、青山通りを走っていると、突然車がスリップした…
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銀幕のスターに憧れた野田青年はやがてマネジャー業へ
「僕が高橋英樹に夢中になったのは、日活ニューフェースの中で僕らに一番近い若い世代だったからでした」 広島県呉市の荒くれ高校生だった野田義治少年は、当時全盛だった3本立ての映画館に毎週通い詰め、…
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“売れるタレント”の条件「勘、機転、嫌みのない如才なさ」
伝説のスカウトマン上條英男が所属タレントの危機を救うときは、カラダを張った。 ホステスをしていたある女優がつきあっていたホストからセックス写真を流出させられ、その1枚が女性週刊誌に渡った。情…