佐高信「追悼譜」
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師匠の子どもの足を折った桂朝丸こと桂ざこばに抱いた親近感
あれはゼイタクな取材だった。現在は『新師弟物語』(岩波現代文庫)として読める「ドキュメント師弟」の連載を『夕刊フジ』でしていた1984年夏、新宿京王プラザホテルで桂米朝と枝雀に会った。「米朝枝雀親子…
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望月衣塑子が目指したジャーナリスト『ハーレムの熱い日々』の吉田ルイ子の先駆性
『東京新聞』の望月衣塑子は吉田を知ってジャーナリストをめざした。それまでは舞台女優になりたいと思っていたのである。中学生の時に会って握手をしてもらった。 2020年に出した私との対話『なぜ日本…
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謝罪をしそびれた脚本家・小山内美江子とのスレ違いは、やっぱり「定め」だったのか
その死を知った時、「しまった」と思った。 あることを謝罪しないままだったからである。 小山内の『我が人生、筋書き無し』(かまくら春秋社)にこんな一節がある。「JHPの活動」の章で、彼女は「JHP・学…
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福島県矢祭町元町長・根本良一は櫻井よし子と共に住基ネットに反対し続けた
地方自治法を改悪して国の統制を強めようと處している時に、それに敢然と抵抗した福島県矢祭町の元町長の根本が亡くなった。住民基本台帳ネットワークシステムに反対し続けた根本と対談するために矢祭町に行ったの…
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唐十郎は禁止やケンカが日常で、フジテレビに出入り禁止になった
山藤章二著となっている『軟派にっぽんの 100人』(集英社文庫)という本がある。 山藤がイラストを描き、20人の筆者がそれぞれ5人ずつについて人物エッセイを書く。 たとえば井上ひさしが若尾…
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フォトグラファー武田花は人にカメラを向けるのは恥ずかしくできないと猫を撮った
「司馬遷は生き恥さらした男である」と名著『司馬遷』を書き出した武田泰淳と、その盟友の竹内好らとのロシア旅行記『犬が星見た』で独特の感性を発揮した百合子との間に生まれた花は、やはりユニークなひとだった。…
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時事通信出身ながら典型的な”産経文化人”だった屋山太郎に聞きたかったこと
何年か前、『夕刊フジ』の記者が恐る恐るという感じで電話をよこして「サタカさんはウチになんかコメントするのはイヤでしょうが」と切り出した。それで私は「何を言ってんの、私のデビューは『フジ』だよ」と答え…
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フィンガー5を世に送り出すきっかけを作った歌手・仲宗根美樹が直面した数々の試練
伝説のレーベル、ベルウッドレコードのプロデューサー、三浦光紀は15歳からの私の親友だが、その三浦がフィリップスに移るのに仲宗根美樹が関わっている。 早稲田を出てキングレコードに入った三浦は、…
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日本航空の会長になっても鐘紡の社長を辞めなかった伊藤淳二という経営者
この人に私は『週刊現代』の連載をつぶされた。伊藤が45歳の時、クーデターを起こして鐘紡の社長になったことは、それをモデルにした城山三郎の『役員室午後三時』(新潮文庫)に明らかだが、その後、会長や名誉…
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悪役・脇役で知られた俳優・寺田農が喜劇役者三木のり平に師事していた想いは
喜劇役者、三木のり平の墓は、東京の地下鉄田原町駅近くの清光寺にある。本名は田沼則子。ノリコではなく、タダシと読む。『のり平のパーッといきましょう』(小学館)によれば、田沼は「おふくろの姓」で、父親の…
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”ヒモノ”国際政治学者 五百旗頭真の長すぎるスピーチには辟易した
ほぼ同年配のこの国際政治学者にして防衛大学校長をやった五百旗頭と同席したのは1回だけである。それも何百人も集まったところで、彼のあいさつを聞いていたに過ぎないから、触れ合ったとも言えないかもしれない…
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『気くばりのすすめ』がベストセラー 元NHKアナウンサー鈴木健二の押しつけがましさ
目が笑っていないという言い方があるが、 鈴木の笑顔が典型的なそれだと思ってきた。NHKのアナウンサーとして知られた鈴木は1982年に『気くばりのすすめ』という本を出し、およそ400万部のベストセラー…
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”大鵬キラー”と呼ばれた元関脇・明武谷 晩年は「エホバ」信者だった
ネット右翼のヘイトはアイヌにまで及んで いるが、先住民族のアイヌ初の国会議員となったのが、萱野茂だった。1926年に北海道の二風谷に生まれた萱野は国会の委員会で史上初めてアイヌ語による質問を行い、1…
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鳥山明『ドラゴンボール』はカタルーニャでスペイン語ではなくカタルーニャ語で放映された
『Dr.スランプ』も『ドラゴンボール』もまったく無縁だったから、この世界的漫画家については、最初、書く気がなかった。 しかし、パートナーがカタルーニャ出身の参議院議員、大椿ゆうこと会い、カタル…
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ダイソー創業者・矢野博丈が夜逃げもしてまでたどりついた経営哲学
矢野博丈が1943年4月19日に北京で生まれた時の名前は栗原五郎だった。祖父が親戚の保証人になって莫大な借金を負い、父は医者だったが貧乏人からは医療費を取らないような人で裕福ではない幼少期を過ごす。…
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三井不動産の”ボス”江戸英雄の娘と結婚していた指揮者・小澤征爾の名づけの由来
中国の「9・18記念館」には、他の日本人は許すことができても、この2人は許せないという侵略者の象徴として、板垣征四郎と石原莞爾のレリーフが飾ってある。 小澤の父、開作は歯科医だったが、五族協…
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『噂の真相』の連載仲間だった”毒絵師”高橋春男の痛快なオチョクリぶり
ナンシー関や高橋は『噂の真相』の連載仲間だった。私は彼を毒画家とか毒絵師と呼んでいたが、何度か対談したこともある。早くに引退して気になっていたが、訃報でその消息を知ることになってしまった。 『…
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「悲壮感のある女性が好き」と語った女優・山本陽子の生き方
『俳句界』の「佐高信の甘口でコンニチハ!」というコーナーで山本と対談したのは2019年5月16日だった。 私はテレビドラマの「付き馬屋おえん事件帳」が好きだったので、そう言うと彼女は、 「あれ…
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夫と息子から愛されていたのか、安倍洋子の心境は誰も知らず
その情報は大分県知事だった平松守彦から、もたらされた。平松は元通産(現経産)官僚であり、安倍晋太郎は通産大臣をやったことがある。洋子の夫であり、晋三の父である晋太郎に洋子以外の彼女がいるというシーク…
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女性官僚の会「あけぼの会」をつくった赤松良子の”ヤンチャさ”
「あけぼの会」という女性官僚の会があった。初代の理事長が労働省婦人局長をやった赤松である。この会は1953年春、東大法学部を卒業して労働省に入った赤松が、3年先輩の森山真弓と席が隣り合わせになって、い…