前田吟「男はつらいよ」を語る
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(30)第8作「男はつらいよ 寅次郎恋歌」は連ドラ「積木くずし」出演につながった
──おいちゃん役の森川信の最後の出演作となった8作「寅次郎恋歌」(1971年)は前田吟にとっても転換期だった。 正直言って、寅さん映画に出るようになって、諏訪博の役が馴染むようになったのは9…
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(29)「セリフは後ろに下がりながらしゃべるの」と教えてくれたおいちゃんの死
──「男はつらいよ」の6作「純情篇」、7作「奮闘篇」、8作「寅次郎恋歌」の3作は1971年に公開された。動員は85万2000人、92万6000人とアップし、8作で一気に100万人を突破し、148万1…
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(28)倍賞千恵子は主演映画「家族」のロケと掛け持ちで多忙を極めた
──「男はつらいよ」の第1作から5作まで公開されたのは1969年8月から翌70年8月のたった1年だった。この間は渥美清も倍賞千恵子も前田吟も他にも作品を抱えて多忙を極めた。渥美は倍賞千恵子の妹・美津…
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(27)栗原小巻は先生役で2度登場。「望郷編」の長山藍子は見かけ以上に色っぽい
──4作「新・男はつらいよ」のマドンナは栗原小巻、5作「男はつらいよ 望郷篇」は長山藍子。 3作のマドンナ、新珠三千代さんは渥美清さんと同世代、4作、5作のマドンナは僕と同世代です。 …
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(26)第3作「男はつらいよ フーテンの寅」では寅さんを地面に叩きつけた
1969年8月に「男はつらいよ」が公開され、寅さん映画は翌70年8月までの1年間で一気に5作公開された。タイトルは順に「続・男はつらいよ」「男はつらいよ フーテンの寅」「新・男はつらいよ」「男はつら…
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(25)1作だけのはずが続編、第3作と…映画館はサンダルばきのおにいさんたちで満員に
1作だけで終わるはずが、続編どころか、3作目、4作目とシリーズ化される。渥美清としてはしてやったり。 当時の映画界は60年代に入って一気に斜陽になっていた。実は映画「男はつらいよ」の前の…
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(24)船の中で怒られるシーンで寅さんがひっくり返るハプニング…わだかまりが吹っ切れた
第1話。博はさくらのことが気になり、印刷所の2階の寮から、「とらや」の2階に住むさくらを見ている姿が何度もスクリーンに映し出される。好きなさくらに告白できない博をもどかしく感じるのと同時に、まだ演…
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(23)第1作では寅さんが白のワイシャツにネクタイ姿で登場する
「男はつらいよ」の記念すべき第1作が公開されたのは1969年8月27日。アポロ11号が人類で初めて月面着陸に成功して約1カ月後だった。巷では、「モーレツ社員」が流行語になっていた。しかし、昭和が生き生…
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(22)寅さん映画はシリーズ50作どころか、1作で終わるはずだった
ドラマ「男はつらいよ」の放送終了は1969年3月27日。映画は5月20日から撮影が行われた。主演は渥美清、さくらは倍賞千恵子、おいちゃんはドラマと同じ森川信、おばちゃんは三崎千恵子……。 映…
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(21)ハブに噛まれて毒が回るドラマ版寅さんに抗議が殺到した
──映画「男はつらいよ」は先にテレビドラマになっている。そもそもタイトルの「男はつらい」はTBS系列で1966年から68年まで80回放送された1話完結の人情ドラマ「泣いてたまるか」の最終回(3月31…
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(20)山田洋次監督との鳥肌が立つような意外な出会い
1968年1月公開の「ドレイ工場」で主演する一方で、映画やドラマの仕事も次々に舞い込み、「男はつらいよ」にマドンナ役で出演する人気女優の相手役も演じた。そして山田洋次監督との出会い……。 ◇…
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(19)前田信明から「吟」に名前を代えて挑んだ社会派映画「ドレイ工場」
前田吟が俳優座養成所同期の地井武男の代わりに主役を演じた映画「ドレイ工場」(1968年)は労働組合や民間団体らのカンパで組織された製作上映委員会による話題作。「東京争議団物語」(労働旬報社)をもとに…
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(18)俳優座養成の卒業旅行で同期7人と事務所設立を約束 夏八木勲、村井国夫、地井武男、竜崎勝と多士済々
俳優座養成所を卒業したものの、俳優座に入ることができず。それでも仕事は途切れず。1969年公開の第1作「男はつらいよ」までの流転は前田吟の夜明け前だ。 俳優座養成所では卒業する前に卒業生がお芝…
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(17)俳優座養成所の同期・夏八木勲は英語ペラペラの慶応ボーイ
ドラマ、映画で活躍する一方で、俳優座養成所時代は15期の同期と濃密な時間を過ごした。 同期とは仲がよかったし、ライバルとして負けまいと思った、まさに切磋琢磨。なかでも異端児だった夏八木勲(1…
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(16)渥美清はただの喜劇人じゃない! 映画「おかしな奴」で奥の深さを知った
俳優座養成所の3年間の後半は当時の話題作で活躍したが、一方で寅さん、渥美清と作品を通して出会っている。 1965年公開の小林正樹監督の「怪談」はちょい役でしたけど、京都での撮影の時間が長かっ…
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(15)養成所2年の夏から外部出演OK、ドラマの主役も演じた
俳優座は戦前の1944年、演出家の千田是也や時代劇「水戸黄門」の東野英治郎、名優の小沢栄太郎らによって創立された。戦後は演劇復興を掲げ、日本の演劇界を牽引してきた、日本を代表する劇団である。その養成…
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(14)再々婚して話すことができるようになった複雑な家族関係
「男はつらいよ」の第1作が公開されたのは1969年8月。前田吟はその前年に離婚を経験する。まだ24歳だった。 子供の親権は向こうにありました。 ただ、長男は幼稚園に入る前に交通事故に遭…
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(13)結婚、2人の子供の恵まれ、そして離婚…朝ドラ女優と恋に落ちて
1963年4月、前田吟は晴れて俳優座養成所入りする。「花の15期」といわれた同期に交じり本格的な俳優を目指す日々が始まった。生後間もなく里子に出され、丁稚奉公を経験した前田と、エリート集団の同期とは…
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(12)彼女もできた…そして「花の15期」としてエリート揃いの俳優座養成所に合格
前田吟は1期生として合格した東京芸術座に入ったものの、通ったのは本命の俳優座養成所に入るまでの1年弱だった。その間、バイトはクビ、恋人ができ、住む家も変わり、そして、俳優座受験と慌ただしい日々を送る…
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(11)上田吉二郎さんを頼りに17歳で大阪から東京へ…いきなり別世界に放り込まれた
丁稚奉公から2年数カ月、激動の大阪時代に別れを告げ、場所を東京に移す。上京して時を経ずして、前田吟を取り巻く環境は一変する。 倉橋仙太郎先生の弟子に時代劇の大河内伝次郎さんがいます。その門下…