沢田研二の音楽1980-1985
-
イントロ、メロディーそしてボーカル…すべて「TOKIO」よりはじけたニューウェーブ
「うるせえよ!」 漫才コンビ・錦鯉の向かって右側の渡辺が、左の長谷川をつっこむように、私はこの曲を聴いた後、沢田研二の頭をポンと叩きたくなる。 さらに付け加える──「キワモノなんだよ、…
-
「恋のバッド・チューニング」は記録より記憶に残る“純粋なるキワモノ”
元日発売の「TOKIO」から約3カ月半後に発売。ちなみに、その直前の4月1日には、松田聖子が「裸足の季節」でデビューしている。歌謡界のパラダイムチェンジが少しずつ進んでいる。 売上枚数は17…
-
沢田研二は「いたずら心みたいな感じで」80年代の扉を蹴り上げた
ここで1980年の沢田研二を再度概観する。「TOKIO」の前作シングルは、79年9月発売の「ロンリー・ウルフ」。地味な作品で売上枚数8.9万枚、オリコン最高位は18位にとどまった(ちなみに、さらにそ…
-
アルバム「TOKIO」は編曲こそ派手派手だが、身ぐるみを剥がすと70年代が現れる
このアルバムの全曲の編曲を担当したのが、後藤次利だ。 加藤和彦、高橋幸宏、高中正義らとのサディスティック・ミカ・バンドのベーシストとして、イギリス公演に参加。そのはじけるようなチョッパー(ス…
-
アルバム「TOKIO」は、歌謡界から早々と新たな潮流に照準を合わせていた
さて、ここで1979年の暮れに少しだけ時間を巻き戻す。このアルバムはタイトル通り、すでにご紹介した翌80年元日発売のシングル「TOKIO」が収録されたものである(ただし、アルバムに収録されているのは…
-
本人の感性を追い越すようなスピードで賽は投げられた
これまで4回に分けてシングル「TOKIO」のサウンドと歌詞について見てきた。では、曲そのものではなく、曲に対する沢田研二の当時の気分はどのようなものだったのか。 ひとつの手がかりがある。島﨑…
-
いろんな意味で「TOKIO」をヤバい曲にしたのは沢田研二の甘過ぎる歌声だ
きょうから再度、シングル「TOKIO」の話に戻りたい。語っても語っても語りきれない一曲なのである。何といっても「沢田研二の音楽1980-85」を象徴する一曲なのだから。 ここまで、1980年…
-
「人間・沢田研二」もええけど、音楽論も、もっとちゃんと語ったれや
さて、この連載は1980年から85年の計6年間に、沢田研二が残したすべてのアルバム、すべてのシングルを論評し、さらには、同期間に再結成されたザ・タイガースの作品も併せて見ていくものである。 …
-
外国のマネだけではダメなんじゃないか…糸井重里が「TOKIO」の歌詞に込めた思い
「空を飛ぶ 街が飛ぶ」「スーパー・シティーが舞いあがる」「TOKIOが空を飛ぶ」──糸井重里による歌詞は、とにかくぶっ飛んでいる。 そもそも「TOKIO」とは何なのか? 「ほぼ日刊イトイ新聞」…
-
「TOKIO」はイントロの25秒で80年代をグッと引き寄せた
オリコン最高8位。この曲が意外に低いセールス記録以上に記憶に残るのは、巨大パラシュートを背負う奇抜なファッションもさることながら、イントロが大きく奏功した結果だと考える。「TOKIO」のイントロは、…
-
79年の紅白で「カサブランカ・ダンディ」を歌った数時間後、80年元旦に「TOKIO」を歌った
この曲を象徴するのが、1980年の元日発売という事実である。 しかし、単に元日に発売されたことよりも、年が明けてすぐ、この上なくセンセーショナルな形で世に示されたことの方がより重要だ、と私は…
-
1980年1月1日「TOKIO」発売 パラシュートを背負って80年代を連れてきた
1980年になった。 70年代から80年代へ。字面上は「7」が「8」になっただけのことだが、しかし、当時を知る者として、その変化は劇的だった。 「長髪」から「短髪」へ、「かっこいい」か…