津田梅子も…「婦女の鑑」を期待された5人の女子留学生
岩倉使節団の中には5人の女子留学生も交じっていた。山川捨松、永井繁子、津田梅子らで、そのうち梅子はまだ6歳であった。大体が新政府の要人たちの推挙であったり、有力者の縁続きの者であった。次代を担うにはまだ年端のいかない女子にも教育をとの判断が、新政府にはあったといっていいであろう…
この記事は有料会員限定です。
日刊ゲンダイDIGITALに有料会員登録すると続きをお読みいただけます。
(残り738文字/全文878文字)
【ログインしていただくと記事中の広告が非表示になります】