乗客乗員37名全員が死亡した「もく星号」墜落事故の謎
講和条約発効(1952年4月28日)の3週間ほど前の4月9日、羽田空港から福岡に飛び立った日本航空の旅客機「もく星号」が離陸20分後に連絡を断った。日本の各機関が行方を捜索するなか、アメリカ側から静岡県の沖で機体が発見され、乗員、乗客など37人全員が救助されたという報が伝えられ…
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