「見えざる3月事件」がその後の全ての事件の元凶となった
![東條内閣のあとに組閣された小磯国昭内閣の記念写真(1944年7月22日、首相官邸)/(C)共同通信社](https://admin.nikkan-gendai.com/img/article/000/280/297/098f2ce84b1b153800656950fd28993820201021131751838_262_262.jpg)
この3月事件は軍内の反対派によってつぶれたが、宇垣陸相、小磯軍務局長らの首脳陣が軍主導の国家改造を行うという空気を生んだ。最後まで決行を主張したのは民間側で実働部隊を動かすはずの大川周明と清水行之助であった。彼らが最終的に断念したのは侯爵の徳川義親の説得によった。その徳川に説得…
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