語り部の経営者たち
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ドキュサイン 竹内賢佑社長(2)ミュージシャンの夢は破れ、25歳の時800万円の借金
電子署名では世界でトップシェアを持つドキュサイン。その日本法人「ドキュサイン・ジャパン」社長の竹内賢佑は、波乱の人生を歩んできた。 米国の名門、アメリカン大学を卒業すると、日本の大手企業の就…
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ドキュサイン 竹内賢佑社長(1)小4の時、親の転勤で…シドニーで暮らし人生が変わる
電子署名で世界トップのドキュサイン。2016年から日本に進出し、デジタル化の流れにも乗って急成長している。 2022年7月からドキュサイン・ジャパンの陣頭指揮を執っているのが竹内賢佑だ。 …
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ティーケーピー 河野貴輝社長(8)TKPの使命は日本のもったいない資源や空間を再生すること
創業時に「Takateru Kawano Partners」の頭文字を取って名付けられた「TKP」の社名は、実は成長にともなって「Tokyo Kashi Place」「Team Kakumei wi…
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ティーケーピー 河野貴輝社長(7)コロナ禍で三度目の危機 …ジッと動かない“冬眠”を決断
東日本大震災の危機から脱却したTKPは、ホテル再生事業と並行して、上海やニューヨークなど、かねて進めていた海外にも進出。2017年には現在の東証グロースに上場し、05年の創業初月50万円からスタート…
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ティーケーピー 河野貴輝社長(6)東日本大震災で再び危機に直面
リーマン・ショックを乗り切り、売り上げも月商6億円にまで伸ばしたTKP。しかし、そこに再び危機が訪れた。2011年3月11日の東日本大震災の影響で、またしても5億円のキャンセルが生じてしまったのだ。…
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ティーケーピー 河野貴輝社長(5)リーマン・ショックでキャンセルが殺到 「倒産」が脳裏をよぎる
東京・港区六本木のビルを借りた河野貴輝氏は、部屋にテーブルとイスを置き、50人収容の会議室として1時間5000円で貸し出しを始めた。1人あたり1時間100円で空いている空間をシェアリングするという発…
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ティーケーピー 河野貴輝社長(4)六本木の一等地で取り壊しが決まっている古いビルを発見
大手総合商社を辞めての起業は両親をはじめ反対の声もあった。しかし、河野貴輝氏は「時代の潮流に乗らなければ飛躍できない」と、元長銀の松尾泰一氏とネット銀行の設立に奔走する。こうして2001年、イーバン…
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ティーケーピー 河野貴輝社長(3) ネット証券の立ち上げに参加して「成功のカギはインターネット」と確信
河野貴輝氏が入社後の1999年、4000億円の不良債権が生じた伊藤忠商事は、経営改革に伴ってインターネット事業に力を入れる方針を打ち出した。99年10月の株式取引手数料の自由化に合わせて、ネット証券…
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ティーケーピー 河野貴輝社長(2)伊藤忠の為替証券部で好きな株式取引にどっぷり漬かる
弁護士を目指して受験勉強をしていた河野貴輝氏だが国公立大法学部に絞った現役受験は失敗。浪人して1992年に入学したのは慶応義塾大学商学部だ。 「法学部がだめだったら弁護士は諦めようと私大も受け…
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ティーケーピー 河野貴輝社長(1)貸し会議室で急成長「物を持たない商売」の原点
都会の駅前などで見かける赤地に白文字で描かれた「TKP」のロゴマーク。会議室・宴会場などを運営する貸会議室業大手「株式会社ティーケーピー」(以下TKP)のロゴだ。同社の代表取締役社長・河野貴輝氏は、…
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ワンダーテーブル 秋元巳智雄社長(4)32歳の時に「次は社長になる」と決めた
ワンダーテーブル社長の秋元巳智雄は1997年、富士汽船(現ワンダーテーブル)に入社、2002年32歳の時、取締役営業部長に就いた。秋元は「次は社長になる」と決めていたという。 そうした自覚も…
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ワンダーテーブル 秋元巳智雄社長(3)成功の方程式は「ニッチトップ戦略」
ワンダーテーブルが東京・恵比寿にオープンした「ピーター・ルーガー・ステーキハウス東京」は、3カ月先まで予約でいっぱいになるほどの人気店だ。ディナーなら客単価2万5000円である。それでも客足は途絶え…
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ワンダーテーブル 秋元巳智雄社長(2)新卒でベンチャーに入社…若い時の激務で鍛えられた
ワンダーテーブル社長の秋元巳智雄は、大学1年の1988年、昼はカフェ・夜はバーの「プロント」銀座8丁目店(第1号店)でアルバイトをはじめた。アルバイトで初の店長代理を務めた。 もともと「プロ…
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ワンダーテーブル 秋元巳智雄社長(1)3カ月先まで予約で埋まる 米老舗・高級ステーキ店を誘致
「ワンダーテーブル」が2021年10月、東京・恵比寿にオープンさせた「ピーター・ルーガー・ステーキハウス東京」(3階建て・241席)は、ステーキ好きなら一度は足を運んでみたい憧れの店だ。 米国…
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地球の歩き方 新井邦弘社長(8)今が、最高に楽しくて仕方がない
今までで一番、達成感を感じたことは? との問いに、新井は間髪を入れず、「今ですね。最大の達成感が訪れている感じがしています」と答えた。 「自分のサラリーマン人生のラストスパートで出版事業に戻れ…
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地球の歩き方 新井邦弘社長(7)今までの蓄積を活用した雑学本がヒット
2021年1月、地球の歩き方社はコロナ禍の中でスタートする。 しかし、半年くらい経ったら状況も良くなるだろうという予想は外れ、コロナ禍が長引いていく。 今までの海外旅行ガイドブックが…
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地球の歩き方 新井邦弘社長(6)バックパッカーの経験が生きる
2020年11月中旬、経営戦略室長から、学研グループがダイヤモンド・ビッグ社の事業を譲受するという話を聞いた。 「へえ、『地球の歩き方』が学研に来るんだ。それはいいなあ」と、新井は思った。 …
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地球の歩き方 新井邦弘社長(5)学研で「ムー」や「歴史群像」の編集に携わる
新井はジャーナリズムの仕事がしたいと思い、新聞社も受けたが思いはかなわなかった。 「海外放浪でしばらく日本にいなかったため、時事問題はからきし弱いんです。前年に起きたリクルート事件も知らなかっ…
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地球の歩き方 新井邦弘社長(4)手描きの地図1枚を頼りにイラン入り
海外放浪にすっかりハマった新井は、次にはヨーロッパに行く。 「古代ギリシャ史を専攻していたので、卒論を書く前に絶対ギリシャに行きたいと思ったのです」 いまや大手総合旅行会社となったエイ…
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地球の歩き方 新井邦弘社長(3)初めての中国放浪で旅にハマる
1987年、大学生だった新井は中国文学を専攻していた先輩から、「一緒に中国に行かないか」と誘われ、初めて海外へ旅することになる。 さっそく、「地球の歩き方 中国自由旅行」を購入した。 …