語り部の経営者たち
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夕月 清水淳子社長(3)「♪ゆーゆー夕月かまぼこだー」のCMが大反響、増産に次ぐ増産
札幌で冬季五輪が開催された1972年は、夕月にとってもエポックメーキングな年だった。同年4月から1年間、フジテレビ系で全国放映された人気アニメ「赤胴鈴之助」のスポンサーになったのだ。当時の家庭は現在…
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夕月 清水淳子社長(2)魚をつぶしてすり身にして蒸す…両親と職人は朝から晩まで働いた
清水社長は夕月の2代目・四家栄安氏の2男2女の末っ子として1962年に福島県いわき市江名で生まれた。その頃日本は高度経済成長の真っただ中。2年後に最初の東京五輪を控えて好景気に沸いており生活環境だけ…
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夕月 清水淳子社長(1)東日本大震災で甚大被害を受けた「老舗かまぼこメーカー」復活の軌跡
「♪ゆーゆー夕月食べましょうー、ゆーゆー夕月かまぼこだー……」 1980年代にこんなテレビCMで一躍、人気ブランドとなった老舗かまぼこメーカー「株式会社夕月」。創業は1962年。前身の「マルヤ…
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時代屋 藤原英則社長(7)見たい景色を追い求めていたら後から時代がついてきた
定年退職後は、時代屋に専念できるようになった。インバウンドの増加で浅草も活況を呈してきた。 そんなとき、新型コロナウイルスのパンデミックが起こり一転、閑古鳥が鳴くようになる。 廃業を…
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時代屋 藤原英則社長(6)37年間のサラリーマン経験が今につながっている
バブル経済期には、日本のメーカー数社がハリウッド進出などメディア事業に参戦したが、結局成功したのはソニーのみ。東芝も撤退を余儀なくされる。 2003年、藤原が所属するメディア事業部が解散した…
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時代屋 藤原英則社長(5)扱うものは古くても、常に新しいことにチャレンジ
藤原は東芝社員としての仕事、時代屋の経営という二足のワラジを死に物狂いで履き続けた。岐路に立たされたことは何度もある。 「もういい加減、やめてほしい」と、何度も妻に言われた。 藤原が平…
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時代屋 藤原英則社長(4)エンターテインメントを提供する仕事がしたい
東芝の産業機器事業部で営業企画を担当していた藤原は、サッカーW杯フランス大会が目前に迫っていた頃、業務提携をするフランス企業商品の販売促進を担当することになる。1998年、営業成績優秀者をW杯に招待…
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時代屋 藤原英則社長(3)東芝での転勤辞令、「二足のワラジ」に危機
藤原は東芝に勤務しながら、趣味で人力車のサークルをつくり、休日にイベントに参加しては人力車を引いていた。 「そうしているうちに、人力車は珍しいものだから目立つみたいで、イベント会社からお誘いが…
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時代屋 藤原英則社長(2)31歳で再び人力車サークルを立ち上げる
時代屋は、浅草で観光人力車などレトロエンターテインメント事業を展開する会社である。 1979年、藤原は同志社大学を卒業した後、東芝に入社した。 最初の配属先は中部支社。電動モーターや…
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時代屋 藤原英則社長(1)浅草を盛り上げる「観光人力車」のパイオニアは副業の達人
いまや、浅草観光のアトラクション的存在になっている人力車。時代屋は、浅草で観光人力車を初めて走らせたパイオニアである。 昭和初期までは日本一の盛り場だった浅草も、藤原が事業を開始した1990…
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井川意高・大王製紙元会長(4)すぐに辞めたのは失敗、井川家追放のクーデターを許してしまった
もともと、賭け事は嫌いではなかった。小学校4年の時から両親、弟の4人で麻雀卓を囲んでいた。家族麻雀といっても、しっかり賭けていた。「真剣じゃないと面白くない」という父・高雄氏の提案だった。 …
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井川意高・大王製紙元会長(3)専務昇格後にオーストラリアでバカラとの運命的な出会い
東大卒業後に入った簿記の専門学校には数回、出席しただけだった。テキストを見れば、大体のことはわかり、独学で原価計算ができるようになっていた。 「大王製紙で働く前に猶予期間をもらったというのが本…
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大王製紙 井川意高元会長(2)父に鉄拳制裁を受けながら英語を学んだ筑駒中時代
「東京営業本部を立ち上げたのは、自身がこちらに来る理由をつくるのが大きかったと思う」 1975年早々、父・井川高雄氏はオイルショック後の事業立て直しに、自ら東京営業本部長となり上京した。 …
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大王製紙 井川意高元会長(1)106億円をカジノで溶かした超秀才の少年時代
エリエールで知られる大王製紙の創業家3代目の井川意高氏が東京地検特捜部に逮捕されたのは2011年11月のことだった。10~11年、シンガポールやマカオのカジノで負けが込み、大王製紙の子会社数社から1…
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バスクリン 三枚堂正悟社長(7)入浴の文化や効能を海外にも広めていきたい
三枚堂が社長に就任した2020年2月は、新型コロナの感染拡大が始まった頃でもある。家の中で快適に過ごすことを重視した消費傾向、いわゆる巣ごもり需要が注目されるようになったが、入浴剤業界もその影響を受…
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バスクリン 三枚堂正悟社長(6)熱海の土石流災害で「日本の名湯」を買う支援者が続出
バスクリンは、120年以上もの歴史を誇る入浴剤のパイオニアである。 「真摯に研究開発してきた積み重ねがあるので、その知見はどこにも負けないと思っています」と、三枚堂は胸を張る。 生薬や…
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バスクリン 三枚堂正悟社長(5)思いもかけなかった社長への打診
三枚堂がバスクリンと関わるようになったのは2015年2月、アース製薬の役員待遇管理本部経営企画部長を務める傍ら、バスクリンの非常勤取締役を兼務することになったのがきっかけだった。バスクリンがアース製…
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バスクリン 三枚堂正悟社長(4)上場準備とM&Aの仕事で大きく飛躍
2002年10月、それまでアース製薬で営業を担当していた三枚堂に、「株式上場プロジェクト」への辞令が下った。事業計画の立案や社内体制の整備、申請書類の作成など上場基準を満たすためのさまざまな準備を担…
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バスクリン 三枚堂正悟社長(3)アース製薬の営業マン時代は試行錯誤だった
高校も大学もサッカー推薦で進学するほどのスポーツマンだった三枚堂にとって、保健体育の教員になることは既定路線だった。 しかし、教育実習を経験してみると、「教師というのは違うのかもしれない」と…
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バスクリン 三枚堂正悟社長(2)坊主頭になるのが嫌で、父が望む野球部には進まず
小学生の頃から野球、サッカー、水泳などに親しむスポーツ万能少年だった。 「体育くらいしか得意科目がなかったんです。『保健体育の先生になったらいい』と、小学校の担任に言われたくらいでしたから」 …