五木寛之 流されゆく日々
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連載11796回 私の感覚的養生論 <4>
(昨日のつづき) 自分の体の声をきく、というのは私が昔からずっと言い続けてきたことだ。 私はそれを勝手に<身体語>と呼んできた。体は私に対して文句を言ったり、弱音を吐いたり、時にはオドしたりす…
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連載11795回 私の感覚的養生論 <3>
(昨日のつづき) 故障のない体を維持するのが健康法で、いろいろ問題を抱えている体を、なんとか維持していこうというのが養生である。 いわばマイナスの発想にもとづく対処法といっていい。 もちろ…
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連載11794回 私の感覚的養生論 <2>
(昨日のつづき) 養生と健康はちがう、と、これまで私は何度となく書いてきた。 健康論を説く人は、とりあえず御本人が健康でならねばならない。本人が病気がちでは、説得力がないだろう。 だが、養…
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連載11793回 私の感覚的養生論 <1>
最近のタクシーは大体においてちゃんとした車が多いが、先日、シートがぺちゃんこになっている車に乗った。 「ずいぶんヤツレてるね、このシート」 と言ったら、ドライバーが笑って、 「いつも両国のあ…
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連載11792回 能登、そして内灘
きょう、部屋がギシギシと音をたてて揺れた瞬間、<きたな>と思わず身構えた。 新年早々の能登地震以来、連日、地震のニュース漬けになっていたせいである。妻の父親のルーツが七尾なので、ショックは大きか…
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連載11791回 無意識の偏見(アンコンシャス・バイアス)の問題 <5>
(昨日のつづき) ここで問題にしているのは、無意識の感覚である。 意識の上での偏見や差別感なら、自省することもできる。他人から指摘されて反省することもあるだろう。 しかし、意識下の感覚は、…
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連載11790回 無意識の偏見(アンコンシャス・バイアス)の問題 <4>
(昨日のつづき) <無意識の偏見>を問題にしているのだが、その前に、意識的な偏見の存在に驚く。 ある高層マンションの住人が笑いながら言っていた。 「エレベーターで小学1年生ぐらいの男の子とよく…
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連載11789回 無意識の偏見(アンコンシャス・バイアス)の問題 <3>
(昨日のつづき) きょうは、あわただしい一日だった。 午後、『家庭画報』の工藤氏と、入稿をかねて新連載の打ち合わせ。 そのあと『家の光』の山本編集長ほかのスタッフと面談。 私が若い頃に…
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連載11788回 無意識の偏見(アンコンシャス・バイアス)の問題 <2>
(昨日のつづき) いまでも東京の下町界隈を歩くと、廃屋となった旧赤線の家並みの跡がうかがえる場所がある。 地方都市にも、そういう面影を残した一画が残っていたりする。 私が上京したのが昭和2…
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連載11787回 無意識の偏見(アンコンシャス・バイアス)の問題 <1>
昨年、横浜の「みなとみらい」で講演をしたことがあった。全国の精神科医が集る会なので、すこぶる緊張したことを憶えている。 そのときの大会のテーマに<アンコンシャス・バイアスをめぐって>というのがあ…
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連載11786回 十年一日のごとく <5>
(昨日のつづき) 目、耳、手、の3つの器官をどんなふうにケアしているのか、ときかれることがある。 なにか特別なマニュアルでもあるのか、という好奇心からだろう。 しかし、そんなものはないのだ…
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連載11785回 十年一日のごとく <4>
(昨日のつづき) むかしの大工さんの七ツ道具に、ノミ、カンナ、カネジャクなどがあったように、作家にも大事な道具として3つのものがある。 目。耳。手。 の3つだ。もちろんほかにもいろいろある…
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連載11784回 十年一日のごとく <3>
(昨日のつづき) きょうは<坪田譲治文学賞>の選考会だった。 坪田譲治は、岡山市出身の作家で、1920年代から戦後の昭和期に活躍した作家である。1936年から朝日新聞に連載した『風の中の子供』…
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連載11783回 十年一日のごとく <2>
(昨日のつづき) 私は九州人なので、気が短いところがあると自覚している。 <飽きやすの好きやす> などとも言われた。長続きしないところがあるのだ。 しかし、一方で半島・大陸で育ったためか…
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連載11782回 十年一日のごとく <1>
私はこれといった趣味を持たない。 もともと無趣味な人間なのだ。食べものにもこだわらないし、着るものにも気を使わない。いま着ているジャケットやコートも、何十年も前に入手したものばかりだ。 靴も…
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連載11781回 人新世のどん詰まり <4>
(昨日のつづき) 毎朝、新聞を読むときには、一面左下のコラムから目を通すのが習慣のようになっている。 ニュースというのは、客観報道のかたちをとっているが、かなり忖度が働いているものだ。私自身、…
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連載11780回 人新世のどん詰まり <3>
(昨日のつづき) <共感疲労>の波が広がりつつあるという。 あまり聞きなれない言葉だが、心理学、精神医学の分野で使われる用語らしい。 自分以外の他者の悲惨な情況に心を痛めすぎて、そのために食…
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連載11779回 人新世のどん詰まり <2>
(昨日のつづき) 戦争がおこるのは、世の中がどん詰まりになったときである。 資本主義のみならず<人新世の社会主義>のほうも、どん詰まりだ。政治も、文化も、宗教もそうだ。 押しよせるデラシネ…
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連載11778回 人新世のどん詰まり <1>
このコラムの連載がスタートしたのは、1975年の10月からである。 <日刊ゲンダイ>の創刊以来、毎年、年頭には似たような事を書き続けてきた。 当時、若手作家扱いされていた私も、すでに卒寿をこえ…
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連載11777回 多難な年の予感 <2>
(昨日のつづき) 《ゴジラ》を観にいったら、夜の8時過ぎからだという。 時間が合わないので、諦めて帰ってきた。なにか映像を見たいのだが、テレビはこれといった番組がないし、仕方がないので昔のDVD…