喜怒哀楽のサラリーマン時代
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杉村太蔵さん<5>国体優勝のテニス経験が仕事では役立った
「証券の仕事は楽しかったですよ~。最初は、株も為替もちんぷんかんぷんだったけど、毎日“もっと分かるようになりたい”と思ってた。それは、先輩たちがキラキラ輝いて見えたから。プレゼンする姿がカッコ良くてね…
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杉村太蔵さん<4>株も為替も債券も何の興味もなかったが…
ビル管理の派遣社員から外資系証券会社の契約社員に。仕事も一変し、給料も上がったが……。 「1カ月更新の契約社員でしたから、契約更新日が近づくたびにビクビクしてました。冗談じゃないんです。雑用係…
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杉村太蔵さん<3>外資系証券会社の株式調査部で雑用担当に
筑波大学を自主退学した杉村さんが、苦労の末にありついたのは、派遣社員の道だった。派遣先は永田町にあるビル管理会社。ビル内の廊下やトイレの清掃、及び備品交換などが主な仕事で、時給800円。「朝6時半出…
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杉村太蔵さん<2>最初の仕事はビル管理…自給800円で清掃員
6年間通った筑波大学を自主退学。スゴスゴと実家に帰った杉村さんは、生まれて初めて父親に怒鳴られた。「働かないなら、死ねッ」のひと言は、今も耳から離れないそうだ。さすがに、「マジで仕事を探さなくちゃ」…
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杉村太蔵さん<1>父親が「働かないなら死ね~ッ 出て行け」
肩書は薄口政治評論家だ。2005年の郵政解散総選挙で、タナボタ当選した杉村太蔵さんである。当選直後に有頂天になって、「早く料亭に行ってみたい」とか「給料は2500万円。念願のBMWが買える」など奔放…
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石川敏男さん<5>市毛良枝の食事中にマイクを突き付け…
石川さんは、松竹、主婦と生活社、芸能リポーターと職歴は変わっても「必死に働いた」と自信を持って答える。30歳の若さでマイホームも購入した。 「僕は向島で玩具工場を経営する裕福な家庭で育ちました…
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石川敏男さん<4>酒井法子“通い婚”スクープ映像はお蔵入り
石川さんは1988年、女性誌の記者から日本テレビの芸能リポーターに転身する。記者時代から数々のスクープをモノにしてきた。 「記者時代の一番のスクープは、79年の都はるみさんと朝月広臣さんの結婚…
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石川敏男さん<3>年収2000万円の誘いが…「支度金も出た」
「石川ちゃん、代わりにやってくれない?」 出版社「主婦と生活社」で編集記者をしていた石川さんは、88年に芸能リポーターの梨元勝さん(2010年に65歳で死去)にこう声をかけられた。ちょうどその…
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石川敏男さん<2>週刊誌記者の頃に大出俊に水をかけられた
月給10万円につられて、石川さんは「女性セブン」(小学館)の専属記者に転身する。1971年、25歳の頃のことだ。 「まじめに原稿を書くと、1カ月に10万円にはなった。松竹の頃に見聞きしたエピソ…
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石川敏男さん<1>中村勘九郎と吉沢京子の交際をデッチ上げ
「これから毎日、会うんだからいらないでしょ」 声の主は、3つ年上の加賀まりこ(74)。今から50年近く前、松竹宣伝部にいた石川さんは、彼女のあまりの美しさに、思わず「サインください」とお願いし…
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佐々木俊尚さん<5>独立は40代 始めるのに年齢は関係ない
アスキーでは2年間、パソコン雑誌の編集者をやりました。もともと特ダネを取ることよりも、世の中がどうなっているか分析したいという欲求があったので、面白かったです。 新聞記者時代は、朝刊の締め切…
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佐々木俊尚さん<4>東電OL事件記事の反響をペルーで知った
警視庁捜査1課担当のキャップだった1997年3月、東電OL事件に携わりました。京王井の頭線神泉駅前の2階建てのアパートの一室で女性の遺体が見つかった。被害者は東電に勤める慶大卒のエリートで、立ちんぼ…
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佐々木俊尚さん<3>地下鉄サリン事件前日に信者に囲まれた
1995年3月20日の地下鉄サリン事件の前夜、私は南青山のオウム真理教総本部前にいました。警察はすでに教団を内偵していて、上九一色村(山梨県)の施設の土を検査し、サリン成分を確認していた。それで、2…
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佐々木俊尚さん<2>台湾人として歌舞伎町のマフィアを取材
事件記者は、いかに警察内部にネタ元をつくるかで力量が問われます。基本は、捜査1課なら巡査部長、警部補、警部から情報をもらう。彼らは地方公務員だから、情報漏洩は公務員法違反になるし、マスコミも一切接触…
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佐々木俊尚さん<1>肺炎でも休めなかった毎日新聞記者時代
毎日新聞の記者を12年務め、アスキーで編集者として活躍後に独立。現在は電通総研のフェローやTOKYO FM「タイムライン」のMCも務める作家・ジャーナリストの佐々木俊尚さん(56)。3月には「広く弱…
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須田鷹雄さん<5>券売機の裏で副業のラジオ番組に電話出演
入社当初は世田谷の自宅から通っていたが、ほどなく津田沼の独身寮に入る。90年代になると、独身寮も個室化が進んでいたものの、昔ながらの相部屋だった。それから1年ほどで個室の独身寮に移ったという。 …
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須田鷹雄さん<4>「コロ2」の恩恵で関西遠征はグリーン車
都市部出身者は地方支社へ、地方出身者は都市部の支社へ――。 須田さんが入社する前は、そんな配属の慣例があったそうだが、それが崩れつつあったことで東京生まれの須田さんは西船橋駅への配属が決まる…
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須田鷹雄さん<3>人事をリークしてまで配属を嫌った理由
話が前後するが、西船橋駅への配属を知ったとき、嫌だったという。 「留年した身でありながらも東大卒がやってきたから、会社は期待したのでしょう。会社と対立する組合の現場を若いうちに知っておくことは…
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須田鷹雄さん<2>西船橋駅の輸送主任代行は食事作りが仕事
JR東日本は、駅中の店舗開発やスイカに伴う金融など事業の幅を広げているが、須田さんは王道の事務系総合職として入社する。 「大卒の同期は200人くらいいて、事務系や土木系など異なる系統の5~6人…
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須田鷹雄さん<1>JR東の役員が競馬好きで拾ってもらった
オークス、ダービーと続くこの時期は、競馬がグンと盛り上がる。ペーパーオーナーゲーム(POG)をやっている人ならなおさらだろう。「POGの達人」を上梓した競馬評論家の須田鷹雄さん(47)は各地のセリに…