喜怒哀楽のサラリーマン時代
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市川まさみ<5>引退後も活躍できるような事業を興したい
SOD宣伝部社員とAV女優の“掛け持ち生活”は1年ほどでしたが、退社を考えるようになったのは、どちらも中途半端になってしまうことが心苦しくなってきたからでした。 会社を辞めるか、女優としての…
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市川まさみさん<4>男優は腰が強くてグッと奥に入ってくる
AVデビュー作の撮影日は、ものすごく緊張しました。前夜に眠れなくなってしまって、緊張からか熱が出てしまったんです。39度にまで上がってしまいました。とりあえず薬を飲みましたが、朝になっても熱は下がら…
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市川まさみさん<3>デビュー後も正社員を続け有給休暇も消化
AV女優になることを考えたきっかけは、SODの宣伝部社員としてテレビ東京のバラエティー番組「ゴッドタン」に出演して、お客さまからデビューを求める声を頂くようになったからです。 といっても、最…
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市川まさみさん<2>宣伝部に異動し撮影現場で“潮吹き”に仰天
SODでは、営業企画部に半年在籍した後、宣伝部に異動になりました。さまざまなメディアを使って作品や商品、女優さんたちの情報を発信するのが仕事です。「月刊SOD」編集部ともコミュニケーションをとりなが…
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市川まさみさん<1>トークイベントが楽しくてSODの就職試験に
2014年にソフト・オン・デマンド(SOD)に入社。営業企画部を経て宣伝部に移り、メディアでの広報活動でも注目を集めていた市川まさみさん(26)。翌年には正社員のままAVデビューを果たし、OL姿での…
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原田悠里さん<5>教師を辞めデビューを決意したアドバイス
学校生活に加え、アルバイトもして、毎日充実していたが、歌手への夢は忘れていない。日曜日には、東京・銀座へ出かけ、歌手への道を探っていたという。 「当時、大好きだった八代亜紀さんや五木ひろしさん…
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原田悠里さん<4>教師2年目からキャバレーでアルバイト
生徒たちとの楽しい思い出はたくさんある。中でも思い出深いのが、修学旅行と運動会だ。 「担任をもっていない私はヘルプだから、気楽でした。修学旅行先は日光で、生徒たちのお姉さんみたいな感覚で一緒に…
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原田悠里さん<3>子供たちには刺激的な先生だったせいで…
「熊本から若くてかわいい先生が来た」 こう赴任先で大歓迎されたそうだが、授業の相手は小学生だ。なかなか大変だったという。 「大学出たばかりだったでしょ。ナメられちゃって、生徒たちは、全然…
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原田悠里さん<2>校庭で生徒とジョギングしながら発声練習
鹿児島大学教育学部で声楽を学ぶと、卒業後は横浜へ。都会のイメージを抱いて赴任したが、そんなイメージはあっさりと打ち砕かれたという。 「熊本から赴任することを知った校長先生が、相模鉄道の鶴ケ峰と…
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原田悠里さん<1>教師になってから歌手の道を探そうと上京
「津軽の花」の大ヒットで1999年から3年連続で紅白出場。明るく元気いっぱいの歌声が魅力の演歌歌手は、今も歌番組の常連として活躍するが、デビュー前は意外にも公立小学校の音楽の先生だった。 熊本…
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上田まりえさん<4>「辞めたくない」と思う時が引き際
昨年12月に日本テレビに用事があって、久しぶりにアナウンス部に寄ったんです。そこで先輩方に「5時に夢中! 見てるよ」「生き生きしているね。タレントさんみたいになった」と言われてすごくうれしかった。 …
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上田まりえさん<3>退職届は震える手何枚も書き直した
華やかなイメージがあるかもしれませんが、アナウンサーは普通の会社員です。出張の交通費や日当の精算はもちろん、日々、資料整理に追われています。例えば芸人さんを紹介するときは、ネタを一通りチェックして、…
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上田まりえさん<2>アナウンサーに必要なキャッチャーの目
人事から内定の連絡が来たときは「うれしい」というより、何が起きているか分からない驚きに続き、じわじわと不安が襲ってきました。「これからどうなっちゃうんだろう」と。プレッシャーしか感じなかった。試験で…
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上田まりえさん<1>一生分の運を使った日本テレビへの入社
幼い頃から人前で話すのが好きで、アナウンサーになることは小学校3年生からの夢でした。最後にアナウンサーになった少女漫画の主人公に憧れたんです。それで放送委員になりました。 当時は毎朝、フジテ…
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矢月秀作さん<5>「いきなり、オレが編集長ですよ」
入社2年目の終わりごろ、前年、脳梗塞で倒れた女性編集長が、2度目の発作を起こして入院。再び、矢月さんが代役を務めることになるが……。 「今度はウチの親会社でもある印刷会社の社長がやってきて、『…
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矢月秀作さん<4>原稿をもらうため10分に1回電話&FAX攻勢
官能誌「小説アサヒ」の常連の作家たちは本誌、別冊合わせて30人ほど。キチンと締め切りを守る人もいれば、締め切り日に原稿が届かない作家もいた。 「本誌の締め切りは毎月15日。オレは2日前になると…
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矢月秀作<3>入院中の編集長に代わり新人の私が“代理”に
「入社3カ月でウチの女性編集長が脳梗塞で倒れたんです。当時、50歳くらい。軽い脳梗塞でしたが、出社できない状況が続き、入院は2カ月に及びました。しかも、真っ先に病院に見舞いに行った経理のオバちゃんが、…
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矢月秀作さん<2>入社3カ月目に官能誌編集長が脳梗塞に
「最初の仕事はノーカット写真のスミ塗りとパーティー出席です。編集長から、『作家さんたちにとにかく顔を売ってきて』ってハッパをかけられて。そう、オレ、自分の雑誌に書いてもらってる作家のことを半分も知らな…
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矢月秀作さん<1>ヌード写真の“スミ入れ”が最初の仕事
警視庁を退職し闇社会のトラブルシューターになった“もぐら”こと影野竜司が活躍する「もぐら」(中公文庫)シリーズは、累計100万部を超えた。著者の矢月秀作さん(53)は、サラリーマン経験者。神戸から上…
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伊藤智仁さん<5>所属チームはなくとも今はBCリーグがある
三菱自動車京都に所属していた当時の初任給は10万円。税金や社会保障費を引かれると、手取りは7万、8万円がやっとだった。プロになって数千万円の年俸を手に入れていた時期もあるが、生活レベルはあえて上げな…