喜怒哀楽のサラリーマン時代
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レイザーラモンHG住谷正樹さん<5>コンビ仲深めたプロレス
新喜劇に入団し、どん底の時代を脱出すると、2005年にハードゲイのキャラクターが大当たりし、ブームが到来した。 きっかけは新喜劇で共に活動していた小籔千豊さんと「ビッグポルノ」というユニット…
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レイザーラモンHG住谷正樹さん<4>おばちゃんの心をつかむ
会社員を辞めて芸人一本になった後は、生活費を稼ぐために先輩芸人の土肥ポン太さんが大阪で営む青果の移動販売店を手伝った。トラックで野菜を売り歩く仕事だ。 「土肥さんの事業の師匠が野菜の卸の権利を…
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レイザーラモンHG住谷正樹さん<3>反対する父親を毎晩説得
新卒で入ったコープこうべは、4カ月で退職した。 「1カ月前に退職していた相方(RG)は、僕がいない間にも番組出演などのオファーを勝手に受けていました。実は、僕の代わりに大学時代の後輩の学生プロ…
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レイザーラモンHG住谷正樹さん<2>新人ながら冷蔵庫8台売る
「相方は南海キャンディーズの山ちゃん的なスタンスで、“誰と組んだら面白いか”を考えるタイプ。僕はデカくてお笑い好きだからポテンシャルを感じたらしく、誘ってもらってうれしかったですね」 学生時代…
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レイザーラモンHG住谷正樹さん<1>「コープこうべ」に内定
スーツをビシッと着こなしたHGさん(42)。ここ5年は、相方のRGさんと漫才を軸に活動している。当面の目標は「上方漫才大賞」だ。 「この格好もやっと馴染んできましたが、劇場の出番をもらえるよう…
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レイザーラモンRG出渕誠さん<5>やっと会社員生活を語れる
自身を「不器用なタイプ」と語るRGさん。大学卒業後、芸人の夢を持ちながら就職を選んだのも親を喜ばせたいからで、内定先の大阪トヨタ自動車にも気を使っていたと振り返る。 「八方美人な性格は、小学校…
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レイザーラモンRG出渕誠さん<4>個室ビデオ店で社員と喧嘩
大阪トヨタを辞めてすぐは、バイトを2つ掛け持ちした。昼間はホテルの清掃兼ベッドメーキング、夜は大阪ミナミの花屋でクラブに花を送る仕事だ。昼間が芸人の仕事で忙しくなってからも、それだけでは生活費は稼げ…
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レイザーラモンRG出渕誠さん<3>「家を継ぎたい」とウソ
営業マンの仕事は午前9時から午後5時までだったが、入社3カ月を迎えるころには、昼間に芸人の仕事が入るようになった。テレビ番組の依頼も入り、掛け持ちできないほど多忙に。芸人で食べていくと決意し、大阪ト…
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レイザーラモンRG出渕誠さん<2>社内行事も1人だけ欠席した
1998年4月、大阪トヨタ自動車に入社。営業部に配属された。しかし、本心では「いつかはお笑い芸人として活躍したい」という思いも抱える。一方、すぐには会社を辞められないという社会人としての“責任”も感…
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レイザーラモンRG出渕誠さん<1>新卒で大阪トヨタに入社
“あるある”ネタで子供から大人まで幅広いファンを獲得しているRGさん(44)。今月20日には、ファーストシングルCD「いただきます」を発売した。 HGこと住谷正樹さんとお笑いコンビレイザーラ…
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浅野史郎さん<5>課長を解かれ49日後に仲間が"追悼文集"を
1987年4月までの2年間、北海道庁で障害者施設の現場を巡り、障害に悩む人やその家族、施設の人から直接話を聞いたことが、その後の人生の財産になる。「今振り返ると、本省に戻るための仕込みの時期だったね…
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浅野史郎さん<4>死ぬまで障害者施設にいさせるのは疑問だ
年金改正法が成立する少し前の1985年4月、人生の転機を迎えた。北海道民生部福祉課長として北海道庁に赴任したのだ。 「肩書は民生部福祉課長でしたが、実態は障害福祉課長です。その後の人生のライフ…
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浅野史郎さん<3>2人がいたからなし得た年金大改正の思い出
米国留学から帰国すると、環境庁自然保護局企画調整課へ。1956年に水俣病が発見されてから、公害対策の意識が高まり、1971年に環境庁が新設された。 「僕が赴任したのは新設3年目の74年。できた…
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浅野史郎さん<2>TOEFL満点でも留学先の授業は理解できず
厚生省での最初の配属は公衆衛生局防疫課だった。課長も課長補佐3人も医系技官という珍しい課だったが、予防接種事故が広がったことで事務官の課長補佐がサポートに来たという。 「その事務官の課長補佐は…
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浅野史郎さん<1>厚生省の研修でハッとさせられた言葉
神奈川大で地方自治論などを講義する一方、モリカケ疑惑についても積極的にコメント。宮城県知事を3期務めた改革派は、古希を迎えた今なお歯に衣着せぬ発言であちこちに引っ張りダコだ。そんなキャリアは1970…
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柳亭こみちさん<5>人生の醍醐味は人と触れ合うこと
会社を辞めて落語家になる――。そんな娘の話を、教師だった母親はすんなり受け入れた。 「母親は、父親が俳優(名脇役で知られた谷晃さん)でしたし、本人も学校行事になると頑張るタイプだったので、『愛…
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柳亭こみちさん<4>小三治の噺に雷に打たれたような衝撃
平日は、体内のエネルギー残量が空になるまで働いた。普通だったら土日はぐったりで、泥のように寝て過ごしたとしても不思議ではない。ところが、こみちさんは、土日も精力的に活動した。 「会社員にとって…
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柳亭こみちさん<3>「愛ちゃんほど真面目な人を知らない」
営業の成績はダントツに良かった。1カ月に回った書店の軒数と取ってきた注文の金額は常にトップ。ほかの営業担当者が1カ月に70~80軒を回るなら、こみちさんは120~130軒の店舗を回った。 「…
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柳亭こみちさん<2>丸洗いできるスーツにズックで書店回り
アルクは「直行」「直帰」がない会社だった。毎日8時半に始まるミーティングの前に出社し、日中は書店を回り、会社に戻るのは7時ぐらい。そこから内勤をこなすので、退社は夜の10~11時になった。 「…
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柳亭こみちさん<1>「採用試験を受けさせて」と手紙出した
歯切れのいい口調の古典落語でファンを魅了するこみちさんは、落語協会で6人目の女性噺(はなし)家だ。2003年に柳亭燕路に入門し、昨年9月に真打ちに昇進。その実力は二つ目の時代から知られるところで、今…