喜怒哀楽のサラリーマン時代
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杉江弘さん<2>1000人の大量採用でJALにマグレで受かった
杉江さんは1969年、日本航空にパイロット訓練生として入社する。その5年前に海外渡航が自由化(外為法改正)され、日本は本格的な海外旅行時代に突入していた。 「日航は当時、業務拡大のため地上職や…
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杉江弘さん<1>御巣鷹山墜落事故のとき私は台北市にいた
杉江さんは日本航空にパイロットとして43年間勤務し、2011年に現役を引退。ボーイング747(通称ジャンボ)の飛行時間は世界一の約1万4000時間を誇る。現在は航空評論家、写真家としても活躍。そんな…
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マッキー牧元さん<4>取材した山本益博にスカウトされた
「インビテーション」の広報誌も担当していたとき、マッキーさんは「業界さんが行く」というコーナーをつくった。会いたい人に会うためだ。 「初回のゲストはファッションデザイナーの桂由美さん、2回目が自…
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マッキー牧元さん<3>伊東ゆかりとちあきなおみに衝撃
20代の半ばには、アーティストも担当するようになっていた。そのときに衝撃を受けたのが、伊東ゆかりとちあきなおみの2人。「こんなに歌がうまい人がいるのか」と感心したという。 「テレビで歌うところ…
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マッキー牧元さん<2>二度と来るなと怒鳴られ落ち込むも…
マッキーさんが配属された新レーベル「インビテーション」の宣伝は、課長1人に部下3人の小所帯だった。マッキーさんは、まずは媒体担当となり、ラジオ局や出版社に楽曲やアーティストを売り込む日々を送っていた…
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マッキー牧元さん<1>宣伝マンとして関わったサザンに興奮
お笑いコンビ「アンジャッシュ」の渡部建が師匠と仰ぐマッキーさんは、雑誌やテレビなどで活躍中の食のスペシャリストだ。庶民派から高級料亭まで、さまざまな店を食べ歩いてきたが、本業は音楽。7年前までは、レ…
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安部譲二さん<5>乗客の米軍将校を殴るも不問になった理由
窃盗罪などで有罪判決を受け、懲役2年6月、執行猶予5年の身で日本航空に入社した。執行猶予の残りは2年ほどあったという。 「判決は官報には載っているから、官報を調べればオレの前科はすべて分かるは…
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安部譲二さん<4>不時着したウェーク島でサザエのつぼ焼き
返還前の沖縄・那覇で繰り返された元女房との密会は、その亭主の米軍関係者にバレる。懲罰で飛ばされた先は、寒い寒いところだった。 「アラスカのアンカレジだよ。そこからデンマークの首都コペンハーゲン…
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安部譲二さん<3>社長にバレた元妻との“不倫劇”の代償
東京・大森に住んだのは、「パスポートを忘れても羽田なら車ですぐ帰れるから」と笑うが、国際線のクルーとして乗務すると、家に帰る余裕はほとんどなかった。成田が1978(昭和53)年に開港するまでは、国際…
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安部譲二さん<2>「チンピラの神様がいた」でギャンブル三昧
筆記試験と5回の面接をクリアして日本航空の入社試験をパスすると、調布の飛行場で飛行訓練を受けたという。 「今でも覚えてるよ。エアロンカという小型機でさ、27馬力だよ。今なら軽自動車でも60馬力…
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安部譲二さん<1>昭和35年 “前科3犯”のスチュワードが誕生
名門麻布中学に入学したら、そのまま高校に進学し、一流大学に進むのがエリートの王道。ところが、中学卒業後、慶応義塾高校に転じ、紆余曲折あって中卒から6年かけて保善高校の定時制を卒業したのは、作家・安部…
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相席スタート・山﨑ケイ<5>時給1300円のコールセンターも
コールセンターのバイトはガッツリしていましたね。電話をかけるのは苦手でしたが、受けるのは性に合っていたんです。 家賃などの生活費と保険料で月に18万円はないと生活できない。時給は1300円く…
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相席スタート・山﨑ケイ<4>採用するにはテクニックも必要
仕事はつらかったですが、いまでも担当した店のいくつかは覚えています。たまたま前を通ったりしたときに「ここの記事作ったな」とか、「バイト募集のチラシ貼っているな」とか、思い出したりしますね。 …
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相席スタート・山﨑ケイ<3>職場イベントにゲストで呼ばれ
社会人を経験して感じたのは、「普通に働くって意外と楽しいこともあるんだな」ということ。学生の頃は、“普通に働く”ってつまんないだろうと思っていたんです。実際はそうでもなかった。 契約社員とし…
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相席スタート・山﨑ケイ<2>反省会でミスを分析され号泣
もともと私は仕事ができるタイプだと思っていました。バイトのときも、どちらかというと効率良くできていましたからね。でも、オフィスワークは肌に合いませんでした。リクルート系のアルバイト求人情報誌の編集を…
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相席スタート・山﨑ケイ<1>大卒後フリーター経て編集に
2013年、山添寛さん(32)とお笑いコンビ「相席スタート」を結成。14年から4年連続キングオブコントで準決勝へ。15年のM―1グランプリは準決勝、16年には初の決勝進出を果たしている。そんな山﨑さ…
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雪妃真矢さん<5>ちょっと常識外れの方が試合も面白い
いざ銀行を辞めてプロレスラーになってみると、この業界の常識と私が社会で経験した常識との違いに、戸惑うこともありました。特に1年目は、朝から晩まで事務所で過ごして、先輩に叱られまくってつらかったです。…
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雪妃真矢さん<4>プロレスの練習がしたくて銀行を退社
プロレスに出合ってからは、銀行に勤めながらも「プロレスの練習に行きたい」と、涙ながらに思う毎日になりました。仕事の後ではなかなか通えず、結局、平日のアイスリボンのプロレスサークルには、3回くらいしか…
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雪妃真矢さん<3>プロレス教室や体験会でプロレスに開眼
姉に連れられて試合を見に行ったのは「DDTプロレスリング」という団体でした。会場は茨城だったと思います。地方興行ですね。姉はひとりで茨城まで見に行くのが嫌だったから、ついて来てほしかったんじゃないか…
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雪妃真矢さん<2>唯一の楽しみは韓国旅行 言葉も独学で
親に言われた通りなら心配ないだろうと思って進んだ道でしたが、私には銀行の仕事がつらくて、急性胃腸炎や帯状疱疹など、体調を壊しながらのOL時代でした。周りはみんないい人ばかりで、職場に大きな不満がある…