喜怒哀楽のサラリーマン時代
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伊藤智仁さん<4>プロを目指す若者を諦めさせるのも仕事
1992年のドラフト会議は、バルセロナ五輪で活躍した三菱自動車京都の伊藤さんと、星稜高校の松井秀喜という投打の目玉に人気が集中した。巨人は伊藤さんの1位指名で動いたが、直前に長嶋茂雄監督の鶴の一声で…
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伊藤智仁さん<3>バルセロナ五輪日本代表は補欠合格だった
「三菱自動車京都のサラリーマン時代は、“宴会部長”と呼ばれていたこともありましたね。京都にある製作所ながら地元出身の選手は少なくて、私が入部した年は京都出身が1人、あとは岡山や兵庫出身でしたから、地元…
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伊藤智仁さん<2>日本代表監督の眼に留まったのはたまたま
伊藤さんの代名詞ともいうべき“高速スライダー”。三菱自動車京都の2年目に習得し、「三菱京都に伊藤といういい投手がいるらしい」と噂が立ち始めた。そしてバルセロナ五輪(1992年)を1年後に控えた91年…
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伊藤智仁さん<1>「給料をもらいながら野球ができるので」
1993年米アリゾナ州ユマでのヤクルトの春季キャンプ。野村克也監督が「江川2世だよ」とほれ込んだのが、今回登場の伊藤智仁さんだ。この模様は話題のノンフィクション「幸運な男」(長谷川晶一著)に詳しいが…
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鈴木涼美さん<5>文春に報じられお見合いはできなくなった
最近出した「オンナの値段」(講談社)は5冊目の著書です。夜のオンナたちのお金の稼ぎ方や使い方を取材し分析した女の現代資本主義論。 裏には顔写真も載っていますが、2冊目の著書は自分の顔写真が表…
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鈴木涼美さん<4>日本経済新聞の整理部は記者より高給
整理部が楽しかったのは、担当する面に権限があって、自分が作った紙面がそのまま世に出たからです。それから、好きな上司が3人くらいいたことも大きかったですね。顔面偏差値が高くて、髪もビシッとしているし、…
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鈴木涼美さん<3>整理部の仕事が一番合っていました
入社1年目に配属された都庁のクラブでは東京面も作っていて、新しい百貨店がオープンしたとか、駅が改築とか、生活に直結するニュースを扱っていました。都庁クラブに記者は5人いたんですけど、私は一番下。それ…
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鈴木涼美さん<2>コソコソとキャバクラ出勤の「不良社員」
「寝てネタを取っている」というウワサを発端に、とある省庁から異動になってしまいました。騒いでいたのは、記者クラブの女性記者たち。敵って、セクハラしてくるおじさんじゃないですよね、全然。お水の世界でも引…
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鈴木涼美さん<1>省庁のお偉いさんと“寝た”とウワサに…
文筆家として雑誌でコラムを担当する一方で、テレビ番組のコメンテーターとしても活躍する鈴木涼美さん(34)。慶応大学在学中はキャバクラ嬢をやりながら、20歳でAVデビュー。80本近い作品に出演経験があ…
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松本秀夫さん<9>ロッテ31年ぶりVに感極まり「涙の実況」
2005年10月17日、福岡ソフトバンクを3―2で下した千葉ロッテは、1974年以来31年ぶりとなるパ・リーグ優勝を決めた。その瞬間、松本さんは感極まり、「ロッテ優勝!」と絶叫しながら涙、涙……。こ…
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松本秀夫さん<8>酔ってろれつが回らず大魔神がリポート
「ハマの大魔神」の佐々木主浩は、190センチ、98キロの堂々たる体躯から投げ下ろす直球とフォークで、バッタバッタと三振の山を築いていた。そんな豪快なピッチングからは想像できないほど、こまやかな神経の持…
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松本秀夫さん<7>巨人・原を激怒させた「腐っても鯛」発言
松本さんがスポーツアナとしての歩みを始めた頃、プロ野球界ではスター選手が度重なるけがに悩まされていた。 スポーツに配属された1987(昭和62)年と翌88年は、巨人の原辰徳(前監督)が2年連…
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松本秀夫さん<6>「きょうの放送は最低だ!」と罵倒され…
スポーツアナになって3年が過ぎたころ、思わぬ転機が訪れた。松本さんを前面に出して使っていくという方針が打ち出されたのだ。 「僕には恩人が2人いて、1人は師匠の深沢弘さん、もう1人が当時のスポー…
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松本秀夫さん<5>深沢アナに叩かれながら身につけた基本
松本さんの師匠は、早大の放送研究会の大先輩でもある“ミスターショウアップナイター”の深沢弘アナだ。駆け出しのころは、頭を叩かれながら指導された。 「御大には、細かいところまできっちりと教わりま…
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松本秀夫さん<4>観客にヤジられた川崎球場のロッテ戦実況
スポーツに異動となった1987(昭和62)年は、まだ屋根付きの野球場が日本になかった。東京ドームの開場は翌年の3月だ。降雨でグラウンドコンディションが不良となれば、試合は中止となった。 「その…
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松本秀夫さん<3>酔って帰れず“三浦和義逮捕”徹夜リポート
1985(昭和60)年9月11日の夜、ロス疑惑の三浦和義氏が逮捕された。連日、テレビのワイドショーや新聞、雑誌が追いかけ回した“悪役”が捕まったのである。三浦氏が護送されてきた警視庁の前は、メディア…
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松本秀夫さん<2>ホトケの報道部長を激怒させた100円罰金
ニッポン放送に入社後は、制作部のアナウンサーとして番組の中でニュースを読んだり、外回りのリポートをしたりする日々だった。仕事はローテーションで決められる。日勤や泊まり番も回ってきた。 そんな…
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松本秀夫さん<1>親友の母をトリコにした「声の美男子」
「ニッポン放送ショウアップナイター」の名調子でおなじみの松本秀夫さん(56)は昨年3月末、55歳でニッポン放送を早期退職した。フリーのアナウンサーとなった現在はスポーツ実況のほか、大先輩の深沢弘アナと…
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佐野謙二さん<5>仙台行きの新幹線の中でサリン事件を知る
栃木の牧場で乗馬技術を磨きながら、調教師への道を目指していた1995年。仕事では、東北担当として毎月1週間前後の出張を繰り返していた。3月20日、東京が未曽有のテロ事件に襲われたとき、仙台に向かう東…
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佐野謙二さん<4>馬に触れたこともないのに決意した理由
目的がないまま過ごしていたとき、会社で恋人ができた。結婚を約束すると、同期が辞めてから心の中で感じていたモヤモヤが強くなる。 「たぶんやりがいがなかったんだと思う。彼女によく辞めようかな、って…