保阪正康 日本史縦横無尽
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将校を殴り返した博徒は戦死率が極端に高い部隊に転属になるも…
日本軍の組織原理は、天皇の軍隊として、天皇に忠節を誓い、天皇に全存在を預けるのを建前とした。兵士たちは上官の命令は天皇の命令と思え、とも教育された。職業軍人はそれを最大限に利用して、兵士、下士官を自…
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「役立たずだ」と軍隊から追放…彼はなぜ行進ができなかったのか?
軍に召集されるのを拒むさまざまなケースを書いてきたが、もう少しこうしたケースを語っていこう。このようなケースは、むろん反戦意識とは別の厭戦、嫌戦意識といってよいだろう。国家に対して、自己を対等の立場…
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太陽を1週間見つめ、当日は少量の飲酒をし兵隊検査を受けると…
1960年代である。東南アジアの某国に対して、日本側が経済援助を行うことになった。日本側の代表団がその国を訪問して、経済閣僚や企業家グループの要人と打ち合わせを行った。そのグループに日本の動きに詳し…
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思想的背景よりも実利主義者 ニセ結核患者に化けた兵士を見抜く4つの特徴
青年軍医の前で激しく咳き込む。いかにも結核患者のような振る舞いである。むろんそれは序の口である。そして「故郷ではおっかさんと妹が朝から晩まで田んぼに出て働きづめだし、わしがいないから畑は草ぼうぼうだ…
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実行して内地に戻った例も 「ニセの結核患者」になり合法的に脱走する方法
どのような軍隊でも、軍内暴力(私刑)といじめ、そして陰湿な復讐などは当たり前のように起きたと言っていいように思う。特に戦時下になれば、そうした行為は日常的になる。なぜなら戦争それ自体がそのような性格…
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葬式を出し戸籍を消して逃げ回った男
戦時下での心理的な歪みの話をもう少し続けよう。戦争が激しくなると、召集の範囲は一気に広がっていく。30代で子供もいるというのに召集されるとなると、当然ながら兵役を逃れるためにさまざまな手段を弄するこ…
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病室に現れた敵兵に銃で狙われた旧日本兵 生への意欲を喪失した患者の話
昭和50年代の終わりから60年代、そして平成に入って間もない頃にだが、高齢化社会に突入とメディアが報じていた。いわゆる老人医療が乱脈になっていて、医療費の膨張が懸念材料と騒がれてもいた。そんな時に実…
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昭和18年4月18日 日本全国で山本五十六の霊の火の玉が目撃された
戦時下での幽霊話はいくつもあるのだが、戦死した息子が火の玉になって帰ってきたという民話が意外に多い。真夜中、玄関に明るい火の玉が見えた、日をおいて息子の戦死が告げられたというのである。火の玉は人の魂…
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元衛生兵が語る真夜中の便所で目撃された「両足切断の幽霊」
これはやはり衛生兵の体験を持つ元兵士から、昭和の終わり頃に聞いた話である。衛生兵の話は、全国的に密かに広まる傾向にあるのだが、特にこの種の話は戦後の戦友会などで話されて広がっていった。とはいえ、戦友…
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「おまえ、死んだんじゃないのか」青酸カリを飲ませた二等兵が幽霊として…
この大学教授は軍隊への入隊時の話になると、次第に記憶が鮮明になってくるそうだ。将校に侮辱されたり、下士官に私的リンチを受けたことなどを思い出すと精神のバランスが崩れる。人間としての尊厳を著しく傷つけ…
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温厚に話していた大学教授はニューギニア島で餓死した友人のために怒鳴り出した
戦時民話についてさらに話を進めよう。兵士たちが夢枕に立って、「おっかさん、死にたくないよう」といったとか、出征した息子がまるで幼年時代に戻り、母親の布団に潜り込んできたといった話は枚挙にいとまがない…
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数珠を握り、戦友の亡霊を見ながら語る元兵士「戦死した仲間の顔です」
戦後になって、かつての戦地に遺骨収集に赴いた人たちが伝えた戦時民話はいくつもある。前回で触れたアッツ島(これは太平洋戦争ではじめての玉砕であった)への遺骨収集では、収集を終えて日本に帰る船が港を離れ…
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理不尽な死の怨念を人々が引き継ぐ 「戦死した若者が故郷に帰ってくる」という幽霊話
北海道の旭川周辺で広がった幽霊話は、いかにも真実味を帯びていた。市内にある第7師団の兵舎は留守部隊が守っていた。一木支隊に編成されてガダルカナルで亡くなった兵士のことはすぐには知らされなかった。昭和…
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軍事内閣が厭戦気分を抑えつけたこと国民が屈折し、幽霊話が生まれた
太平洋戦争下の日本社会は、いかなる空気が支配していたのだろうか。あるいは庶民はどのような考えのもとで日々を過ごしていたのだろうか。そのような研究、分析はそれほど熱心に行われていたわけではない。今に至…
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敗戦が濃厚になると現実から目を背けるため国民は幽霊話を信じ始めた
開戦の翌日に検挙された396人の検挙理由を見ていくと、軍人内閣の心理状態がわかってくる。その心中は穏やかざるものがあり、戦争に疑問を呈しただけでどのような理由をつけても検挙、逮捕しようというわけであ…
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真珠湾攻撃の翌日から始まった東條英機の「言論弾圧」は軍内で評判が良かった
太平洋戦争の開戦時に、内相が東條英機だったことは極めて重い意味があった。首相、陸相に加えて内相にもなっていたのである。 日本にはそれほど人材が枯渇していたのかとの疑問さえ湧くが、内相も兼務し…
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駐日大使グルーを怒らせた日本人の虫のいい要求…「政府筋と密接な関係」を築く人物からの手紙
吉田茂の表情について、駐日大使のグルーはその回顧録に「私の友人はひどく押しつぶされたように見えた」と書いている。戦争回避に動いた吉田が敗戦後の占領期に、アメリカ側の国務省関係の外交官に受けが良かった…
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天皇の2人の弟である秩父宮、高松宮両殿下も開戦に反対していた
軍人の軍人による軍人のための戦争には、3つの錯誤があったと書いた(昨日の号)。この錯誤は近代の軍人に共通する性格でもあった。それゆえに文民支配を徹底させて、軍事は政治に隷属させなければならないという…
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なぜ対米英蘭戦争に突っ込んだ? 東條英機以下、軍人たちに共通する歪んだ歴史観
愛国的と称する軍人や日本主義の旗を掲げる民間右翼などを除けば、日本社会の大半は対米戦争に乗り気ではなかったといっても良いであろう。特に政治家はこの気持ちが強かったといえる。それなのになぜ、いとも簡単…
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12月8日開戦の日に元閣僚らは「日本に勝算はない」と見抜いていた
若槻の発言は、いざ戦争になったなら精神力は心配ないにしても、物質面で長期戦に耐えられるかを慎重に検討しなければならないと前置きした上で、次のような意見を天皇をはじめ内閣の面々に突きつけた。 「…