保阪正康 日本史縦横無尽
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開戦内閣の東條英機は人事に没頭し有能な将校を犠牲にした
太平洋戦争において日本の軍事指導者が責められるべき点はいくつかあるのだが、そのうち2、3の例を挙げるなら、「主観的願望を客観的事実にすり替えた」や「有能な人材を登用するシステムに欠けていた」「国民を…
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「天皇への侮辱」で巣鴨拘置所に留置された尾崎行雄
尾崎行雄と東條内閣の対立、いや東條内閣の一政治家への弾圧の様相を記述しておきたい。翼賛選挙時に、尾崎は同志の田川大吉郎の応援のために東京3区の演説会場に赴き東條内閣の選挙干渉を鋭く批判した。むろん田…
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「憲法違背である」と東條内閣に立ち向かった尾崎行雄の異議申し立て
東條内閣をはじめ戦争政策を遂行する軍事指導部が、翼賛選挙を軍事の補完機関に仕立てようとしたのにはいくつかの理由があった。国民は無知で愚昧な存在というのが、軍事政策の担い手の考えであった。 こ…
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議会の8割が政府推薦候補となった「翼賛選挙」のひどい内容
太平洋戦争の開始から半年間に、政治・軍事指導者はほとんど有効な対策を取らなかった。その半面で国民には強圧的監視体制と客観的視点の否定を躍起になって説いた。冷静に考えたり、理知的に振る舞う態度は全否定…
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将棋倒しのように…日本500機、米国4000機の航空機生産の格差
鈴木貞一企画院総裁が披歴したという、日本軍が西南太平洋に根拠地を確保したのだから日本の不敗態勢は確保されたとの論は、この頃に最も声高に主張された意見であった。日本はこれをもって真珠湾攻撃の成果とし、…
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「ソ連が敗れ、米国も手を引く」戦時指導者の愚かな楽観論
真珠湾攻撃後の第2段階で、日本の戦時指導者はどのような手を打つかなどは全く考えていなかった。それが致命的な欠陥だったとも言えるのだが、この事態をもう少し別な視点から見ていくと、日本人の国民的性格を表…
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大本営の参謀は文書化 日独が世界を分割支配する夢想の計画
田中隆吉による陸軍内部の戦時指導迷走の告発は、むろん東條英機だけではなく、政治・軍事指導者がいかに見通しを持たずに戦争と向かい合っていたか、その姿勢の告発でもある。次代の者として耳を傾ける内容もあれ…
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「稀に見る出しゃ張りの女」東條英機は妻の言いなりだった
石原莞爾と東條英機の対立を見るときに、意外に重要なのは浅原健三という人物をめぐる戦いがあったということである。浅原は前回も紹介したように労働運動出身の活動家であったが、石原の東亜連盟の思想に触れてか…
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「石原莞爾はアカだ」とでっち上げの噂をまいた東條派の陰謀
昭和陸軍が退嬰的な組織に陥っていたのは、個々の軍人が能力を発揮する「空間」ではなくなっていたためだ。昭和の初めからの国家改造運動が、結果的に2.26事件のような暴力の爆発という形での歪みを持った。そ…
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東京の防空施設の拡充案を却下…東條政権は人命より戦力増強を優先した
田中隆吉の軍事政策告発の内容をさらに記述してゆく。戦争終結後初めての具体的な告発であり、極めて大きな意味があった。田中は東條英機首相・陸相と対立したため軍から追い出されたとも言えるのだが、それだけに…
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「疎開は卑怯者の行為」という東條英機の時代錯誤
田中隆吉の著作からは軍事指導者たちのあまりにも甘い、そして軽薄な戦争論や戦略論が浮かんでくるのだが、それ自体は大いに批判されなければならない。ありていに言えば日本の軍人は国を守るという大義を自分たち…
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告発本「敗因を衝く」を書いた田中隆吉…国民が知らない内容でたちまちベストセラーに
戦争責任者を裁く、あるいはその責任の実態を明確にするというのが、昭和20(1945)年8月15日の敗戦後の社会の動きとなっていった。とはいえ食べるものもなく、住む家とてないという状況の中で、戦火によ…
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幣原喜重郎内閣が密かに進めていた「戦争責任裁判法の制定」
志賀義雄が共産党大会で示した1300人の戦争責任者は、いわば当時の日本の支配階級と言ってもよかった。そこには戦争責任が問えるのか、といった問題が含まれていた。つまり、たしかに支配階級に属していても、…
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戦争責任者の名を挙げる演説 志賀義雄は最後に「それは天皇だ」と叫んだ
志賀義雄の戦争責任者の名を挙げる演説は次第に佳境に入った。軍人、財界人の数を報告したのちに、次のように声を大きくしてその数字を披歴した。 「さてそのほかに、軍部のいうままに振る舞った労働組合の…
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志賀義雄が刑務所から釈放 共産党大会で示された1300人の戦犯リスト
共産党大会が共立講堂で開かれたのは、志賀義雄が府中刑務所から釈放されてから、ほぼ4週間後のことであった。この時におよそ150人の共産党の党員が獄中から解放されたと、マーク・ゲインの書(「ニッポン日記…
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思想犯・志賀義雄、徳田球一の「獄中18年」が流行語になった
占領期の6年8カ月は、国家主権が失われていた時であったが、この間の日本人の姿は占領期でない時代とは多くの点で異なっていた。戦争に負けるという体験は、日本人には大きな衝撃だったのである。そこで日本人の…
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敗戦した日本の「懺悔」とは「天皇に申し訳ない」の意味だったのか?
敗戦後の日本人の姿勢について、2つの言葉がキーワードになったという事実を示してきた。ひとつは「一億総懺悔」であり、もうひとつが「負けっぷりの良さ」である。この2つの意味を問い詰めていくと、「戦争の敗…
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玉音放送を信じず、奇妙な噂話が広がった日本の「負けっぷりの悪さ」
前回名前が出た吉田茂と鈴木貫太郎は、日本の敗戦でいかに筋を通した姿勢を貫くかを話し合っている。2人とも対米英戦争には消極的というより、むしろ反対の立場であった。それだけに「敗戦」を潔く受け入れようと…
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岸田首相に問いたい吉田茂、鈴木貫太郎の「歴史的忠告」
新しい年を迎えて、日本は、あるいは世界はどのように変わるのであろうか。現実を冷静に見る限り、さしあたりは大きな変化は起こりそうもない。ロシアとウクライナの戦争は簡単には解決しないことが明白になってい…
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米軍兵士に性のサービス 軍需工場を売淫施設に変えて経営者たちはボロ儲け
GHQが日本に駐留しているアメリカ軍兵士に性のサービス機関であるRAA(特殊慰安施設協会)に出入りしてはならないと命じたのは、昭和21(1946)年4月から5月のことである。その結果、こうした売春宿…