名将・野村克也 ボヤキの内幕
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球界随一の理論派がなぜ一生の伴侶に沙知代夫人を選んだか
初めて沙知代夫人と会ったのは1995年、神宮の室内練習場だった。彼女は港東ムースというリトルリーグのオーナーを務めていた。 野村監督は時間があれば顔を出す。連れだってリトルの練習を見ていたと…
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ドラ1伊藤智仁は「投球美人」名言を生む“非野球人”の発想
「ひまわりと月見草」に代表される、野村監督の表現力は秀逸である。 なぜ、野球人が、こんな名言を繰り出せるのか。原点は、優れた観察力にあったと思う。それを言葉で表現する能力があったからで、ことは…
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理想の打順を「1番から9番までイチロー」と答えた野村監督
「王になあ、みんな持ってかれた。本塁打、打点でしょ。オレの記録なくなっちゃった」 通算打撃成績を、5歳下の後輩・王に抜かれた。そのことを話すのに悔しそうではなかった。しょうがないよと、あきらめ…
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“犬猿の仲”の本当の関係 野村監督は長嶋監督嫌いだった?
野球人として、野村克也の対極にいたのは長嶋茂雄だった。 長嶋は野村にないものをすべて備えていた。野村は長嶋にないものを持っていた。長嶋は意識しなかったが、野村は強烈に意識していた。「月見草」…
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ノートのコピーが自らの首を締め…功名心に負けた阪神時代
阪神監督時代、最大の失敗は「野村ノート」に象徴されると思う。 ヤクルト時代、首脳陣へ配られた「野村ノートのコピー」が、阪神で大問題になった。 阪神監督1年目。キャンプイン前日、信じら…
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ホテルで2人お茶を テーブルにあった書きかけの野村ノート
「あっちへ行け」と言われたのがウソのようだった。ヤクルト監督2年目のユマキャンプ、練習休みに監督の部屋へ押しかけて、2人でお茶を、ということが許された。 ヤクルトの宿舎は、スターダストホテルと…
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誰でも野村を好きになる 巧みな話術と照れと含蓄の魅力
野村監督ヤクルト1年目。米ユマでのキャンプ初日に取材拒否を食らった。「あっちへ行け」と、通告されたが、日本に戻って宮崎・西都の2次キャンプでは「気をつけて帰れ。いい原稿書けよ」と声をかけられるほど、…
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野村監督殺人事件 本人の逆鱗に触れ取材拒否を通告された
「日刊ゲンダイ? オマエんとこはノースピークや」 初対面の挨拶で、いきなりぶすっと言われた。 野村監督ヤクルト就任1年目。アリゾナ州ユマ・キャンプ初日。クラブハウスの前で、報道陣が監督…
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神宮球場の一塁側ベンチで野村監督が語った“理想の死に方”
「優勝決めた瞬間、ベンチで死んでいる。みんなが気づいたら死んでいた、っていうのがいいね」 ヤクルト監督時代の神宮球場、一塁側のベンチで、野村監督がポツリとこう言った。 「最後までユニホー…