“犬猿の仲”の本当の関係 野村監督は長嶋監督嫌いだった?
野球人として、野村克也の対極にいたのは長嶋茂雄だった。
長嶋は野村にないものをすべて備えていた。野村は長嶋にないものを持っていた。長嶋は意識しなかったが、野村は強烈に意識していた。「月見草」と「ひまわり」が、長嶋でなく、野村から生まれたことが、何よりの証拠ではないだろうか。
■「あれなら監督いらんわな」
ヤクルト時代、野村監督は巨人を目の敵にし、その頂点に長嶋監督がいた。「何だ? カンピューターって」と皮肉を言い、「欲しい欲しい病で、選手取りまくり。あれなら監督いらんわな」とあてこすり、そこから野村監督は長嶋監督が大嫌い、長嶋監督は無視で、2人は犬猿の仲とみられていた。
だが、実際はどうだったか。
「あいさつしないんだ」と野村監督がしんみり言ったことがある。
「名球会の旅行でさ。ヒコーキの中で一緒になった。普通なら挨拶するでしょ。おれ監督だよ。息子がお世話になりますとかさ、それくらい言うのが普通じゃないか」