誰でも野村を好きになる 巧みな話術と照れと含蓄の魅力
野村監督ヤクルト1年目。米ユマでのキャンプ初日に取材拒否を食らった。「あっちへ行け」と、通告されたが、日本に戻って宮崎・西都の2次キャンプでは「気をつけて帰れ。いい原稿書けよ」と声をかけられるほど、関係は修復していた。
1カ月で、この変化には2つの要因があった。
ひとつは強力な助っ人を得たこと。取材に訪れた評論家・古沢憲司氏のおかげだった。
古沢氏は現役の西武時代、野村監督とバッテリーを組んでいた。キャンプでは野村監督に密着。当時のヤクルトは報道陣も少なく、古沢氏はグラウンドの中まで入って取材ができた。
古沢氏は日刊ゲンダイにコメントを提供していた。記者は古沢氏を取材するように後を追って、野村監督に近づいた。
監督は、けげんな表情だったが、古沢氏の相手をする。そのうち、2人のすきをうかがうように質問をしてみた。監督には聞きたいことが山ほどあった。3人で話し合う形ができた。それでも「背後霊みたいなやっちゃな」と、くぎを刺しながら、独自取材にも応じてもらえるようになった。