芸能記者稼業 血風録
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殴られ踏みつけられ…ビートたけしを激撮したカメラマン魂
「相手が怒鳴ってきたらその瞬間の顔。殴ってきたら拳が向かってきた瞬間。その一瞬を撮れば決定的な写真になる」 写真誌時代に教えられた言葉だが、多少オーバーにしても、瞬間を経験する機会の多いカメラ…
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名物レポーターも誕生「芸能メディア」は戦国時代に突入
芸能ニュースを語るのに欠かせないのがワイドショーの存在だ。そのルーツは1964年にスタートした日本教育テレビ(現・テレ朝)の「モーニングショー」だった。当日の芸能記事を紹介するだけだったが、主婦の関…
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1981年「フォーカス」創刊 個性が豊かな週刊誌カメラマン
「週刊誌、見てきたような嘘を書き」 そんな造語が生まれた昭和。各記者が自身のネットワークを駆使して集めた情報をもとに取材しても、当時の女性誌は機動力に欠けていた。どんなに事実であっても写真はな…
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ハワイ新婚旅行で事務所から自粛要請 約束破れば全体責任
新婚旅行先のホノルル空港に降り立った百恵・友和を待ち受けていたのは多くの報道陣。すでに車をチャーターして2人の行き先を追う態勢まで整っているメディアもあったが、同行してきた友和のマネジャーが報道陣を…
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ハワイ新婚旅行に同行取材 飛行機は百恵&友和の隣だった
披露宴の興奮冷めやらぬなか、翌11月20日、百恵と友和は新婚旅行先のハワイ・オアフ島へ旅立つ。2人は出発前にも空港内で会見を行った。報道陣でごったがえすなか、私は出発カウンターにいた。同行取材だった…
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芸能史に残る山口百恵「引退コンサート」の武道館最終公演
山口百恵の結婚発表は祝福ムードに包まれる一方で、引退には「なぜ」と惜しむ声が続出していた。芸能史を見ても、トップを走っていた女優が結婚を理由に引退の例はほとんどない。かつて独身を貫く女優の生き方を映…
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出会いから5年 ついに百恵&友和の決定的な写真が撮られた
山口百恵はデビュー翌年の1974年、運命の人、三浦友和と出会う。 グリコのCMをきっかけに映画「伊豆の踊子」で共演。「爽やかカップル」と好印象で、応援するムードもあった。かつての吉永小百合と…
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「百恵」の2文字 表紙にあれば雑誌はバカ売れするジンクス
私の芸能記者生活で、もっとも長きにわたり取材に関わったのが山口百恵さん(61=以後、敬称略)だった。改めてその足跡をたどりながら、いかに芸能メディアが百恵と寄り添ってきたかをひもとく。 19…