流浪のファンタジスタ 松井大輔が激白
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キャリアの分岐点になった移籍の選択…名門パリSG、年俸倍額提示した独クラブのオファーを蹴った
ルマン時代にフランスサッカー界に旋風を巻き起こし、その存在が広く知れ渡った。中学3年で短期留学した名門パリ・サンジェルマン(パリSG)への移籍話も浮上。本人も「パリに行きたかった」と今も後悔の念が残…
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「10番の血を引く絶滅危惧種」「ルマンの太陽」...移籍先フランスで日本人選手を見る目を大きく変えた
2000年に京都サンガでプロとなり、4年後にはフランス2部のルマンに移籍。「当時の京都はJ2でした。同じ2部ならフランスの方がいいに決まっている」と迷うことなく渡仏を決断。瞬く間に「ルマンの太陽」と…
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中学卒業前に渡仏しパリSGの入団テストに合格も…3カ月の短期留学が海外志向をかき立てた
今年2月に23年のプロ生活に終止符を打った。流浪のサッカー人生の始まりは、中学3年時のパリ・サンジェルマン(パリSG)での3カ月の短期留学だろう。そこで彼は「異文化に適応しながらたくましく生き抜くこ…
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南アW杯に行きたくて「ボールを全部よこせ」と内田篤人に言った…当時のチーム内に溢れ出ていたギラギラ感
中田英寿、闘莉王、本田圭佑ら歴代の日本代表には、自分流のスタイルを貫く選手がいた。希代のテクニシャンである松井大輔も、時にエゴイストになるところがあった。「チームの戦い方の大枠は監督が決めますけど、…
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滑り込みで南アW杯メンバー入り…「初戦のスタジアムに向かうバスの中から感極まっていた」
国際Aマッチ出場31試合.1得点──。史上最多の出場152試合を誇る遠藤保仁(G大阪コーチ)を筆頭に100試合超えの選手が8人いる中、松井の数字は信じがたいものがある。「自分は代表になかなか定着でき…
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後の日本代表の土台になった南アW杯 「守り重視で戦ったからこそベスト16に行けた」
日本代表には「結果」に加えて「内容」も求められる。「超守備的なスタイルで勝っても意味がない」と考える人も少なくない。2010年南アフリカW杯の日本代表は特に批判的な見方をされたが、16強入りの原動力…
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南アW杯R16パラグアイ戦PK負けは、高地でボールが浮いたのが「運命の分かれ目」だった
2010年南アフリカW杯では全4試合に先発し、16強入りの原動力となった。ラウンド16のパラグアイ戦では自らのミドルシュートがクロスバーを直撃する惜しいシーンもあったが、チームは得点を奪えずに最後は…
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危機的状況で迎えた南アW杯直前…闘莉王が「俺たちは弱い。球際を厳しく」と言い出した
2010年南アフリカW杯。初戦のカメルーン戦で本田圭佑が挙げた先制弾のアシストについて「(監督の)岡田(武史)さん(J3・FC今治会長)が『持ったら早く入れろ』と言っていたんで、右足で切り返すしかな…
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練習試合で大学生に股抜きされて「俺、終わってるな」と引退を決意
日本代表最多152試合出場の遠藤保仁(G大阪コーチ)を筆頭に、8年間代表主将を務めた長谷部誠(フランクフルト)、歴代3位の代表50ゴールの岡崎慎司(シントトロイデン)と2024年は大物サッカー選手の…