ケガが続いて「本当の松井大輔」を呼び戻す作業に注力した
2010年夏にロシア1部トムスクに移籍して以降、目まぐるしくプレー環境を変えることになった。ロシア、ブルガリア、ポーランドと日本人選手があまり足を踏み入れなかった国々へ赴き、新たなキャリアを築いた。当時の彼は、まさに「辺境フットボーラー」だった──。
ポルトガルの名門スポルティング・リスボン移籍が破談となり、欧州最前線からロシア中部の町トムスクへ赴いた。人口55万人のシベリア最古の町は、予想以上に大きかったとはいえ、英語を話せる人も数えるほど。そこで単身生活を送った。
「欧州の場合、東に行けば行くほど脆弱な経営のクラブが増える傾向があると思いますけど、ロシアは別。トムスクはモスクワから3000キロも離れた遠い場所にあったけど、それなりの資金力はあった。クラブハウスでは、個室も与えられていた。経済的にもサッカー大国だなと感じました」
松井自身は10-11シーズンをフルで戦ってもいいと考えたが、保有権を持つグルノーブルが「どうしても後半戦から戻ってほしい」と強硬姿勢を崩さず、半年足らずでフランスに戻った。