野球IQは高いんです
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2年春のセンバツで打った一発が僕の孝行初本塁打でした
上宮高校では1年春からレギュラーになりました。同期では、のちに中日に入団する種田仁(元楽天コーチ)と2人だけ。練習はきつく、先輩からの風当たりも強い。なにより、当時の山上烈監督が鬼のように怖かった。…
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厳しかった親父の愛のムチ
僕が野球を始めたのは小学校2年のときです。6歳上の兄貴の影響で、もっと小さい頃からバットやボールには触れていましたが、あくまでそれは「ボール遊び」。7歳になって突然、親父から「やってみるか?」と水を…
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親父の言葉で引退する腹が決まりました
05年の9月の終わりに巨人の球団代表から戦力外通告を受けた僕は、引退するか、他球団で野球を続けるか、二者択一の決断を迫られました。 球団から与えられた猶予は3日間。しかし、いくら考えても結論…
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僕の15年間のプロ野球生活はたった5分で“ピリオド”
頭から冷や水をかけられるような電話でした。 2005年9月25日。二軍で悶々としていた僕の携帯電話が鳴りました。液晶に目をやると、球団マネジャーからです。 よっしゃ、一軍昇格やな。や…
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引退試合の相手がよりによって外国人投手 あれには参りました
15年間の現役生活で1205試合に出場、思い出に残るゲームは数多くあります。中でも印象深いのが、2005年10月5日の広島戦。僕の“引退試合”です。 首脳陣の計らいで「5番・一塁」でスタメン…
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夜中のバルコニーから松井秀喜の荒い息が聞こえてきた
本当に!? そう言って松井秀喜と顔を見合わせたのは、巨人が5年ぶりの日本一になった、94年の豪州V旅行でした。4年目22歳になった僕はこの年、90試合に出場。打率.280、4本塁打、25打点…
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松井秀喜は「へへへ」と笑うだけでした
93年に入団してきた松井秀喜は何から何まで規格外でした。風貌、飛距離、スイングスピード、そして泰然自若とした立ち居振る舞い。本当に18歳!? と何度も聞き返したくらいです。 僕が1年目の彼の…
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中畑さんの晩酌にお付き合いしながら新聞を読んだら熱が出た
あれは、巨人入団3年目の93年春の宮崎キャンプです。夜間練習を終えてヘトヘトになって宿舎の自室に戻ると、見計らったように内線電話が鳴りました。 「おう大介、ちょっとオレの部屋に来いよ」 …
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中畑さんの一言で松井秀喜の「専属運転手」になりました
2005年のシーズン限りで引退してから、今年でちょうど10年が経ちます。33歳でユニホームを脱ぐまで、巨人一筋15年。いろいろな方にお世話になりました。きょうからこの紙面を借りて、自分の野球人生を振…